◆くるみ拾い

 畑を作っている小学生の子らにくるみを拾いに行かない?と声をかけて、近くの川の堤防にくるみの木々に緑の皮に包まれたたくさんのくるみの実を見に行ったのは先月のことでした。子どもたちはそれぞれ予定があって、一緒には行けないようなので、別々に拾いに行くことになったのです。

 対岸の堤防はほん近くなので歩いても行けるのですが、自転車やご両親も一緒の車で行きました。

 道らしい道もない草むらの中に入っていくので、手袋と長靴は必須です。草むらを少し進むと、急に2メートル足らずの低い堤防の斜面になっていて、河原にあたる少し開けて平らなところまで降りていくのです。そんな坂でさえ下りるのが恐いという子もいたのでちょっと驚きました。やっぱり町の子のようです。

 しかし、くるみはたくさん落ちていて、その少し平らに開けた所に降りるまでにすでに大きい買い物袋にいっぱいになってしまうほどでした。この前来た時は、緑の皮が付いたままで落ちていたので、すぐ目につき拾いやすかったのですが、今回はその緑の皮もほとんど腐って黒くなっていて、土と見分けがつきにくく、少し見つけにくくなっていたのです。

 こんな近くで、こんなにたくさんのくるみが拾えるなんて、私たちの子ども時代では全く考えられないことです。今の時代は、くるみなんて誰も拾わなくなっているのでしょうか。いや、それでも拾いに来ている人もあるようです。所どころに、黒くなった皮が集めてあったからです。

 小学生の子たちも、少し拾うと、もうくるみ拾いにはあまり関心がないようでした。少し平らになったところでは草むらにいる虫や、猪でも掘ったのでしょうか、少し深さのある穴や、くるみの木の枝から垂れ下がっている蔓がまるで周りを囲うように覆っている空間を見て、“わっ! 秘密基地だ!”とむしろそちらの方に強い関心がいくようでした。

 あまりにたくさん落ちているので、もう拾いたくないのか、食べ物が豊かにある今の時代に育つ子らなのか、それほどくるみ拾いには興味がないようでもありました。袋もすぐにいっぱいになり、‘もう帰ります’というので早々に引き上げて帰ってきたのです。くるみはたくさん拾って持って帰っても、おうちの人に実を出してもらうのもまたなかなか大変なことでもあるからなのでしょう。

 それでもそんなくるみをほしいという人は意外とおられるのです。拾わなければ草むらで朽ちていくのであれば、また時間があるときにでも拾ってきておいて、そうしたほしい人にあげてもいいと思ったのです。

 ところがです。そう思っていた矢先のことでした。出かけようと車を走らせる間もなく、家の近くの電線からまたカラスが急降下して道にくるみを置き、すぐにまた電線に戻ってとまったのです。またカラスにマークされていたのでしょうか。走り抜けるとき瞬間的にそのことに気が付いたのです。でも残念でした。車は左側通行です。ちょっと右側に置き過たようです。バックして、再度車で割ってあげようかと思う間もなく、またカラスは、急降下してそのクルミをくわえて飛び去って行きました。また役立たずのようでした。たった一つのくるみでもカラスにとっては大事な一つに違いありません。‘でもカラスさん。賢いあなたも勉強してね。人間社会では車は左側通行だということを’そう思ってしまいました。

 そして思い出したのです。くるみを拾っているときに、どうしてか、あの固い殻に丸い小さな穴があいているくるみがあったことをです。あれは、きっとリスか何かが殻に穴をあけて中の実を食べたのではないかとです。

 そして気づかされたのです。ならば、このくるみは、そうした動物たちのためにも、欲にかけてむやみに拾ってはいけないのではないかと。私たち人間には、今拾わなければ生死にかかわることでもないのです。でも、自然界で生きるそれらの動物たちにとっては、なくてはならない貴重な餌でもあるのではないだろうかとです。カラスはひょっともしてそのことを私に気づかせようとでもしたのでしょうか。でも、熊の好物でもあるという。ならば拾っておいた方がよいのだろうか‥‥

◆秘密基地

 秘密基地と言えば、孫たちが、高校生活が本格的に始まるわずかの期間にそれまでにやりたくてもやれなかった思いを達成するためだったのか、母の実家に廃材探しに出かけ、その家の裏山で竹を切ったりもしたのでした。その廃材を祖父にトラックでどこかに運んでもらったようです。詳しく聞き出すことはしなかったのですが、秘密基地ごときものでも作ったのかもしれません。

 一般に男の子たちがしたがるこうした秘密基地づくりなどへの思いを、これまでに充分に満たす機会もなく成長してきてしまったのかもしれない彼らが、その思いをかなえようとした矢先、すぐに本格的に始まった部活や試験に追われる高校での学校生活において、そんなことに十分に浸っている暇はなかったのかもしれません。

 ‘つけ’としてそうした思いを、またいつの日かに持ち越すことになるのでしょうか。そしてそのいつの日かのそのときには、今度はどんな行動として出してくるのでしょうか。こうしたことは成長の過程での誰もが通る道であって、こうした本能的感情のエネルギーが否定されたり、充分に満たされなかったり、ゆがめられたりするとその満たされなかったエネルギーが、暴走族になったり、暴力になったりと形を変えた行動となって現れてくるのだというのです。

 畑作りは、大根作りに続いて少し遅くなったのですが玉ねぎを植えました。大根を収穫した後にはじゃがいも植えるのだそうです。さらに、一緒に作りたいという友達の参加も増えるようです。

 これまで大根の育ちを見たことがなかったのでしょうか、スーパーで売っている太く長いものが大根だと思って育ってきているのでしょうか、つまみ菜の、あのあるかないかの細い根が、日ごと、間引きするごとに太くなってくるのを見て、どの子もその度毎に‘あっ!太い’と声をあげるのです。そして、もうぽつぽつ食べごろの太さにまで太くなってきているのです。

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