【越山若水】「暮れてなお 命の限り 蝉(せみ)しぐれ」。自ら句にも詠んだように政治家人生を全うした中曽根康弘元首相が亡くなった。101歳。「戦後政治の総決算」を掲げて懸案の解決をめざした、昭和を代表する政治家だった▼戦後日本の復興を誓って政治家を志したとき、大きな影響を受けたのが思想家で文筆家の徳富蘇峰だった。「大局さえ失わないなら大いに妥協しなさい」と教えられた。蘇峰は「政党は混んでいる汽車のようなものだ。座っていなければだめ。席を立てば他人がすぐ座ってしまう」とアドバイスした。これが政治スタンスとなった▼とはいえ、ただの“風見鶏”ではなかった。若くして総理大臣を目指し、なったらやるべきことをノートに書き続け30冊にもなったという。原子力の平和利用にもいち早く取り組み、生涯をかけたテーマとなった。だが福島第1原発事故が起き「全体像を踏まえた上で、反省すべき点は反省しなくては」とインタビューで語っている▼総理の役割として「世界史の上に立ち国の針路について正しい道を語ること」を挙げるとともに、哲学者の梅原猛さんとの対談では「政治は文化に奉仕するもの」と述べ、国際日本文化研究センターの創設に尽力した▼変化への対応が生きた政治で、「政治家は歴史法廷の被告席に座っているもの」との言葉を残した。激動の時代の重要証人だった。

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