【越山若水】地域の人たちから「お天守」と呼ばれ、親しまれてきた坂井市の丸岡城天守。全国に現存する12天守の中で最古ともいわれてきたが近年の学術調査で、江戸時代の寛永年間のものと分かった。築城時期である従来の天正4(1576)年説より50年余り遅れ、国宝化を目指す人たちをがっかりさせた▼だが、調査により新たな価値が浮かんできた。先日開かれたシンポジウムでの報告によると、今は石瓦葺(ぶ)きの屋根だが建設当初は異例の杮(こけら)葺きだった。天守台は築城当初に築かれ、上に天守があった可能性もある。1948(昭和23)年の福井地震で倒壊し再建された天守の柱や梁(はり)など主要部材は、江戸時代のものが再利用されていた▼一方、殿館の上に望楼が載る古い形式の天守が、層塔型が主流となった寛永期になぜ採用されたのかなど新たな謎も出てきた▼沖縄の首里城が焼失したとき、城が地域の人たちのアイデンティティーを象徴する存在であることが再認識させられた。丸岡城についても、同市出身の作家中野重治は「無骨なやさしさ」と魅力を表現し、愛着ぶりをエッセーに記した▼ただ、貴重な歴史遺産を後世に伝えるのは容易ではない。丸岡城天守も今後、耐震補強工事が必要だ。内堀などの調査や、周辺環境の整備も課題とされる。「お天守のまち」の核として丸岡城をよみがえらせるため英知を絞りたい。

関連記事