復元された正殿の前に立つ山本信幸さん(右から2人目)=1992年11月、沖縄県那覇市

 沖縄戦災復興の象徴とされた首里城復元工事の中心を担ったのは、福井県の宮大工たちだった。職人の技が惜しみなく注がれた首里城が全焼した10月31日、正殿の屋根が焼け落ちるテレビ映像を目の当たりにした宮大工は「あまりにもショック」と肩を落とした。

 復元に携わったのは藤田社寺建設(福井県永平寺町)。越前大仏の建設に台湾ヒノキを使用していたことから、同じ木材での復元を目指す正殿工事の要として白羽の矢が立った。1992年の完成まで、10人を超す精鋭が3年以上現地に滞在。現地の宮大工と汗を流した。

 当時、副棟梁として図面や施工管理を担った山本信幸さん(61)は「当時としては木造建築最大級の復元工事。地元愛の強い沖縄の県民性もあり、ものすごい重圧だった」と振り返る。そうした中、心魂を注いで一大プロジェクトを成し遂げただけに、正殿が焼け落ちる映像に「あまりにもショック。言葉を失った」と肩を落とした。その一方、「一から復元に携わった人間として少しでも役に立ちたい」とも語った。

 首里城一帯の復元は2018年まで続き、藤田社寺建設は正殿に隣接する御殿などの工事も担った。三浦博之社長(62)は「来年には傷んでいた正殿の柱を入れ替える予定だったのに…」とショックをあらわにし、棟梁の近藤克昭さん(40)は「再び復元するには10年、20年を要するかもしれないが、早く元通りになってほしい」と願った。正殿復元に合わせ現地で採用された沖縄出身の與那原幸信さん(53)は「セキュリティーが厳しかった正殿で、どうして火が出たのか不可解」と話した。

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