火災で焼失した首里城の正殿(右中央)。奥は北殿=10月31日午後0時34分、沖縄県那覇市(共同通信社ヘリから)

炎上する首里城の正殿=10月31日午前4時18分、那覇市(石崎豪さん撮影)

消火活動が続く首里城の北殿=10月31日午前6時57分、沖縄県那覇市

首里城=2017年5月、沖縄県那覇市

激しく燃え上がる首里城の正殿=10月31日午前4時20分ごろ、沖縄県那覇市(近隣住民撮影)

激しく燃え上がる首里城の正殿=10月31日午前3時50分ごろ、沖縄県那覇市(近隣住民撮影)

火災で焼失した首里城の正殿で続く消火活動=10月31日午後0時33分、沖縄県那覇市(共同通信社ヘリから)

火災で焼失した首里城の正殿(中央)=10月31日午後0時32分、沖縄県那覇市(共同通信社ヘリから)

火災で正殿(中央)などを焼失した首里城=10月31日午後0時39分、沖縄県那覇市(共同通信社ヘリから)

消火活動が続く首里城の北殿=10月31日午前7時12分、沖縄県那覇市

消火活動が続く首里城の北殿=10月31日午前7時7分、沖縄県那覇市

消火活動が続く首里城の北殿=10月31日午前6時35分ごろ、石川県那覇市

炎上する首里城=10月31日午前6時3分、沖縄県那覇市

火災を起こし延焼する首里城=10月31日午前6時31分、沖縄県那覇市

 10月31日午前2時40分ごろ、沖縄県那覇市の首里城で煙が上がっていると、警備会社から119番があった。正殿などが激しい炎を上げて燃え、正殿と北殿、南殿が全焼するなど主要7棟の計約4800平方メートルが焼失、午後1時半ごろに鎮火した。周辺住民30人以上が一時避難したが、けが人の情報はない。市消防局によると、正殿内部から火が出た可能性が高く、那覇署と出火原因や経緯を調べている。

⇒【動画】正殿、北殿、南殿の外観と配置

 琉球王国の中心地だった首里城は太平洋戦争で全て焼失、その後主な施設が復元された。7棟は対象外だが、首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は2000年に世界文化遺産に登録されており、城間幹子市長は「県民のシンボルを失った。衝撃を受けている」と語った。県は玉城デニー知事らによる対策本部会議を開く予定で、文化庁は調査官を現地に派遣した。

 署や市消防局などによると、7棟は1992年以降に復元され、正殿は木造、南殿と北殿は鉄骨を一部使った木造。近接する「黄金御殿」「書院・鎖之間」「二階御殿」もほぼ全焼した。「奉神門」にも火が移り、焼失した。

 出火当時、正殿に直接通じる門は全て施錠されていた。少なくとも正殿と南殿、北殿にはスプリンクラーが設置されていなかった。市消防局は法的な設置義務はないとしている。

 10月27日から琉球王国の儀式を再現するイベント「首里城祭」が開かれており、少なくとも30日深夜まで関係者が作業をしていたが、当時は無人だったとみられる。自動火災報知設備が反応し、正殿内部から煙が上がっているのを警備員が確認した。

 火の粉が広範囲に舞い、市は災害警戒本部を設置し一時避難所を設けた。署などは周辺住民を避難誘導した。

 首里城を含む首里城公園は20年東京五輪の聖火リレーのルートになっており、火災を受け31日朝から臨時休園している。

 【首里城とは】1429年に成立した琉球王国の政治、外交、文化の中心で、1879年に最後の国王尚泰が明治政府に明け渡すまで栄えた。築城は14世紀半ばから後半とみられ、丘陵の地形を巧みに利用して造られている。戦前は国宝に指定。太平洋戦争で焼失した。米国統治下を含む戦後、県が「守礼門」や「歓会門」を再建。正殿は琉球独特の宮殿建築で1992年に復元された。正殿前の広場は王国の重要な儀式が行われた場所。世界遺産は「首里城跡」で、復元した建物は対象でない。

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