【越山若水】福井市も取り上げられた「県都物語」(有斐閣)で、著者の西村幸夫東大大学院教授が都市の読み解きは町歩きが基本とし「都市を先人たちが残してくれた作品、創造物ととらえて見直すと見えてくるものが少し違ってくるだろう」と指摘▼それではと、福井城最大の堀だった百間堀の埋まる跡を散策するイベントに参加した。市の歴史のみえるまちづくり協会が企画、歴史ボランティア語り部の案内で、ガレリア元町商店街などでは、建物同士の隙間から、今も残る石垣をのぞかせてもらえた。町歩きの意義を実感できた▼その百間堀の堀幅は実は最大90メートル、その広さを形容して「百間」(約182メートル)の異名が付いた。JR福井駅西口広場に、幕末から明治初期とされる「百間濠乃(ぼりの)福井城東面」図が展示されている。百間堀が広がり本丸の櫓(やぐら)などが描かれている▼1896年、北陸線福井停車場が開設されたころにはまだ、百間堀越しに本丸が望めた。堀の埋め立ては図説福井県史などによれば、県庁の本丸への移転が決まった1919年から本格化、百間堀も特定はできないが、過去の福井市街地図などから37年ごろには姿を消したようだ▼2023年春の北陸新幹線敦賀開業を見据え、再開発事業が進むエリアに百間堀は眠る。その歴史の記録にとどめず、未来に託す県都のグラウンドデザインに生かせたらいいのだが。

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