人と共に暮らしていく、ということについて、希望しか感じない者がいるなら、ここに連れてきてほしい。

 本書に束ねられた11人の心象模様は、実にバラエティ豊かだ。独身女性。その上司である中年男性。反抗期の子に悩む母親。子を持つ人生を手放した夫婦。そして、彼らの親たち。描かれる物語の多くは、家族にまつわるものたちだ。

 ありとあらゆる人生に、「ごめん」の3文字は絡まっている。絡まりまくっている。対話が面倒くさいから早く終わらせるための「ごめん」だったり、子どもがしでかすすべてをひっかぶるための「ごめん」だったり。「ごめん」が言えないからこそ相手に「ごめん」を強いてしまったり。

 ああ、と自分の人生を振り返る。やっぱりどう考えても、我が人生に絡まっているのも家族との「ごめん」の風景である。一度怒りだしたら口をきいてくれない母との、和解への突破口は幼い私からの「ごめんなさい」だった。自分が悪いと思っていてもいなくてもだ。でも最近になって私は、母のレアすぎる「ごめん」を聞いた。母がひとりで高いところのものを動かそうとして、バランスを崩し、肩を骨折したのだ。

 仕事を捨て置いて駆けつけた私に彼女がその3文字を言った。私たちのこれまでを思うと歴史的な一瞬だった。けれど、彼女の痛々しい腫れもアザも、「ごめん」なんかじゃ引きやしない。

 人生には季節がある。ちくしょう、負けてたまるかと、勝ち負けが自分の価値を分けると信じている季節。自分が悪いか、相手が悪いかのどちらかだと思っている季節。けれど人生は、そんな容易い二色でなど塗り分けられはしない。薄墨、金赤、群青色。無限の色相が、無限の彩度で、混じり合ったり合わなかったりしながら、この世界は出来上がっている。

 11人の登場人物たちの人生も、母と私の人生も、「ごめん」などではまるで決着しない。どうせ決着しないから「ごめん」を言わない事態や、決着しないのに「ごめん」と言うしかない事態をいくつも越えて、決着しないまま、うずうず、ずるずると人生は続いていく。そしてある瞬間、断ち切られる。そのことはわかっている。わかっているのに。

 11編の物語は、若いカップルの前進で締めくくられる。そりゃあそうだと読み終えて思う。中年や年配がこじらせた「ごめん」は、希望のひと色で締めくくることなど、できないのだ。

(集英社 1800円+税)=小川志津子

関連記事