「光秀を巡る定説の多くは、史実に基づいていない」と語る明智憲三郎さん=9月29日、福井県福井市の響のホール

 明智光秀を主人公とするNHK大河ドラマが来年放送されるのを前に、朝倉氏と光秀の関わりに焦点を当てるシンポジウムが9月29日、福井県福井市の響のホールで開かれた。光秀の子孫と伝わる明智憲三郎さん=横浜市=が講演し「光秀が仕えたとされる斎藤道三は、主君ではなく敵だった。定説の多くが江戸期に書かれた軍記物の創作に基づいている」と警鐘を鳴らした。

 歴史研究グループ「福井あすわ歴史道場」が主催し、約220人が訪れた。

 明智さんは、本能寺の変の動機が光秀の恨みや野望だったとされる定説を覆し、40万部を超えるベストセラーになっている「本能寺の変431年目の真実」の著者。17年をかけて光秀にまつわる全資料を調べ直した。

 光秀は美濃国の守護・土岐氏の一族で、土岐氏に代わって美濃の国主となった斎藤道三に仕えるも、道三の息子義龍に明智城を攻められ、越前へ逃れたとされている。明智さんはこの通説について「光秀は土岐頼純の重臣として道三と(何度か)戦い、敗れては越前に逃れ、朝倉の援軍を得て復帰戦に挑んだ。主君を道三に毒殺された光秀は、道三を討つ義龍軍に加勢してあだを討っている」と説明。その後、織田信長に仕えて、信長と義昭の間を取り持って上洛させたとの説についても否定した。

 明智さんや光秀ゆかりの称念寺=坂井市=の住職高尾察誠さん、朝倉氏遺跡保存協会長らによるパネル討論もあった。

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