そうした孫と、そんな子どもの思いを大きな、大きな深い思いで受け止めて、聞いている父親との会話の様子を、少し離れて後ろから見ていて、熱い思いが込み上げてきました。

 スカイプが途切れるたびに娘に何度もかけ直してもらっての長いスカイプでの会話でしたが、それでもスカイプが終わると、パパへの耐え切れない思いが募り、一気に、ドイツに帰りたい、早くパパに会いたいと言い出し始めたのです。

 今、子どもへの虐待など無惨な事件が後を絶たない日本において、こうした子どもの思いを大きく大切に受け止めるパパであってもらって本当によかった、よかったと、何度も、何度も心のなかでつぶやかずにはいられなかったのです。

 そんな孫の思いを汲んで、翌日にも父親と再度スカイプをさせていましたが、心がある程度満たされたのか、前日程には、画面にすがりつくほどではなく、寝そべるなど余裕をもって話しているようでした。
しかし、空港に迎えに来て久しぶりにパパに会えて、ピョンピョン飛び跳ねて喜んでいたそうです。そして、その一晩明けて朝起きてからずっと、パパと一緒に、日本で手に入れたそれらのおもちゃやレゴなどで遊んでいるというメールが届いたのです。

◆宿題なんかしたくないよ

 ‘宿題なんかしたくないよ ‼’孫の口から飛び出した思いもよらない言葉に驚きました。この9月からドイツの小学校に入学するという子が、まるで日本の学校の子どものように、いや、日本の小学校でも入学する前から宿題なんかあるはずはないと思うのです。

 どういうことかを娘に聞くと、ドイツの学校は、日本よりも学習の進め方はとてもゆっくりしているというのです。

 しかし、日本のことをきちんと学ばせるために、行っている補習校の進み具合がとても速く、これでも1年遅らせているのだというのです。その補習校についていくために日本式に日本のドリルを買って、日本語のひらがなやカタカナの読み書きをさせようとしていたようです。ひらがなに関心はありながらも、そんな娘の思うようには勉強をしようとしたがらない孫と娘のやり取りを聞いていて、この世に適応させようとする親と子の在りようが身近でも突然に起きたのです。

 小さいながらも2か国語を巧みに使いわけている孫を見ていると、可愛そうになって抱きしめてやりたい思いがするのです。一体子どもではあっても頭の中ではどうなっているのだろうという思いです。それだけでも大変なことだと思うのです。

 親の子どもへの言葉かけの在りようによって、子どもの体には、見た目には傷が付かなくても、見えないその心や、生命力(エーテル体)が傷つけられ、そのことにより、その成長に大きな障害を引き起こすことにもなることを娘と話し合ったのです。

 せめて昔話でもして、心を安らかにしてやりたいと思うのですが、孫もこの年齢になるとお話はいらないといって簡単に受け入れる状況ではなくなっています。

 そんな時、顔や体の表面を軽く転がし、リンパの流れを促すというコロコロマッサージ器具にとても関心を持ちました。いつも眠る時にでしょうか、父親に手で背中をさすってもらっているとのことで、気持ちが良いのか背中にしてほしいというのです。そんな孫の生命力(エーテル体)の働きを促すためにも、寝る前のひととき、そのコロコロ器具で背中をなでながら、自然にお話の世界に引き入れるようにしていきました。

 お話は、もちろんちょっとやんちゃなこの年頃になった本人の希望も聞きながら、この年頃の子の喜びそうな、『へこき嫁さん』というはなしから始めていきました。続いて、『若返りの水』、『三枚のおふだ』。日ごとにお話は増えて長くなっていきます。そしてドイツでもしてもらって知っているという桃太郎へと展開していきました。それまではお話が終わるまでしっかり目覚めていて話が終わると必ず自分の布団に戻って眠るのです。が、後になってやっと、話を聞きながら少しうとうとできるようになったのです。

 そんな話の中では、『へこき嫁さん』の話が合ったようで、特に「へや」ということばのその意味が分かって、とても気に入ったようでした。

 そして時折いたずらっぽく笑いながら、「へや」と言っては笑っていました。

 お話が始まる前に、‘電気を消してね’と頼むと、そのことをスイッチの下に書いておいてほしいというのです。言われたのですが何度か忘れて頼むと、自分で、ひらがな表を広げてひらがなを拾いながら「でんきをけしてください」と書いて、自分でスイッチの下に張って、頼むたびに満足げに自分で書いた文字を読んでいるのです。

 書く文章の横に、まず私が手本を書いてそれを見て書けばと思ったのですが、いらないと言って一字一字自分でひらがなを拾って書き上げたのです。

 見えない世界でのことなので、その自覚がなかなか難しいことだろうと思うのですが、子どもとの関わりの中で、「生命力」がなにかと削がれることの多い今の時代、子どもの教育において、その生命力(エーテル体)を意識した教育の重要性が思われてならないのです。

 特に、そうした自覚を必要とされる治療教育(障がい児教育)において教育者の(親をも含む)無自覚さを目の当たりにすることが多いのです。

 天神様の本質を遡ってたどっていくとそれは生命の世界との出会いであって、生命力に対して意識的であったり、生命力に意識的に働きかけたりすることは、天神様の働きに意識的でもあるということだそうです。

 これからの時代、そうした生命力(エーテル体)の働きかけに対してより一層意識的となり、その働きがより促進されていくような働きかけがますます必要とされてくると思われるのです。

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