このコラムでもご紹介した『初めてのシュタイナー』を書かれた志賀くにみつ氏が何か月前にいずみ保育園の講師として来られました。

 その折、6時にホテルに行って、その接待をしてほしいと保育園から頼まれました。日頃誰かに話してもそう簡単には通じないことがわかっているので、一人で抱え込んでいる多くのことについても、同じシュタイナーの思想の世界に関わってきている身であるためか、志賀氏のお人柄もあってか、その時が初対面でありながら、旧知の人のようにいろいろと話ができました。

 志賀氏にお世話になった娘の、その子どもの学校選びでシュタイナー学校を選ばなかった思いやドイツのシュタイナー学校の実情について。志賀氏からは、最近、発達障害の子が多くなってきていることなどなど、話は尽きず、それからの3時間余りの時間はあっという間に過ぎていました。

 そうしたなかで、一人の小学生からの畑をしたいという申し出があったことをお話すると、志賀氏は「まるでシュタイナー学校ですね」と言われたのです。

◆里山で、生きた生活体験を

 そのことに加えて、思いだされることがあります。5月も終わりの頃だったと思います。

 高校生活が始まって間もない孫が‘ばあちゃん、何か木材はない?’と聞いてきました。‘木材? どんな木材? ホームセンターなどに行けばあると思うけど。一体何に使うの?’ ‘・・・・・・’ 返事がありません。私の答えに満足がいかなかったのでしょう。それと、それ以上にあまり深入りして聞いてほしくはなかったのでしょう。

 それであまり詮索しないことにして、これから壊そうとしている母の実家の家には、始末をしなければならないたくさんの廃材があることを告げました。これまで孫は筍掘りなど母の実家には何度か行っていますので、合点したようで、早速、その廃材を見に連れていってほしいというのです。

 母の実家に連絡するといくらでもどうぞという返事でした。

 朝になって、出かけようとしているとき‘実は、今から友達も来るので友達も一緒に連れていってほしい’というのです。告げられて間もなく、小学時代から顔なじみの、同じ高校に通うようになった子らが2人やってきました。

 母の実家に着くとすぐに昔の製材小屋のなかの廃材を物色し始め、使えると思う廃材を後で持って帰れるように、道路近くに運び出していました。

 ふと気が付いて、‘家の裏山には太い竹がいっぱいあるけれども、竹がほしかったら山で竹を切って来たら’というと、これまでそうした経験がなかったのか、みんなは勇んで、裏山に上っていきました。

 念のため必要では…と思って、家にあるのこぎりを2丁、車に入れておいたのです。その のこぎりと、母の実家の物置で探して見つけてもらった なたも持たせたのです。 ‘筍が生えているかもしれないから、あったら採ってもいいよ’ということも付け加えておきました。

 ちょうど折よくその日は、その家で育った従兄の次男の人も家の様子が心配で見に来ていて、買ったばかりのような新しいのこぎりを、山にあがろうとする孫たちに使うようにと渡してくれました。

 山に登って行った孫たちは、竹を切る音や話し声は聞こえるのですが、それからいくら経っても、一向に山から下りてこないのです。ちょっと心配になって、様子を見に行きました。

 登ってすぐのところで、何本か切った竹が転がっていましたが、まだ一生懸命になって竹を切っていました。近くには、たけのこが生えているのも見えたので、たけのこが生えていることを知らせるのですが、たけのこ掘りなどやったことがないのか、ほとんど関心がなく、竹切りに夢中のようでした。そして竹の小枝をその新しいのこぎりをまるで なたのように振って落とそうとしているのです。やれやれです。

 折角の新しいのこぎりも、歯こぼれで全く台無しです。しかし、3人の息子さんを持つ父親です。そうしたこともあろうかと推察していたようで、さすが寛容でした。

 が、屋根からおろして道をふさいでいて、車を家の近くに寄せることの出来なかった、太陽熱でお湯を沸かす大きな重い太陽熱温水器を、三人の力でもう少し家に寄せて移動させてほしいと最初に頼まれていたのです。さすが高校生、しかもそれぞれが、小学時代からスポーツクラブや部活で鍛えてきている体です。いとも簡単に移動させることができ、それだけでもありがたいと喜んでもらえたのです。

 山でのこんな体験をあまりしたことのないであろう、この子たちに対して、その道具の使い方に対する不安も多少あったのです。

 私たちが、竹の子を掘りにくるときには、熊や猪の危険性から、いつも従妹は、山に詳しい人を誘ってついて来てもらっています。その人は、竹を切る時期や、竹藪の手入れの仕方など山にはとても詳しい人なのです。ですから、学校生活のなかで、このような人の指導のもとで、生徒さんたちがこうした山の体験などを通しての実生活に根差した体験をすることも必要なことではないかとつくづく思われるのです。

 父親も亡くなり、旧天津村一番の山持ちであったといわれていて、その沢山の山の持ち主となってしまった従兄の孫娘さんも、こうした学生さんたちに、自由に山を使ってもらうことを心から望んでいるとのことでした。

 山や、田や、畑の多くが放棄されようとしている、あるいは放棄されている今の時代、実生活に根差した生活経験の少ない学生さんらがこうしたことを体験する場はいたるところにあるように思われるのです。

◆来てうれし(安心)、帰ってうれし(安心)娘の訪れ

 今年は、ドイツから帰ってくる娘たちのためもあって育てたスイカ、枝豆、甜瓜(まくわうり)、 かぼちゃ等々が、よく育ち、十分に堪能できました。心配したハクビシン?の被害にも、ネットで囲んで対応したためかそれほど被害に会わず、我が家では食べきれないほどの収穫がありました。特にスイカや、甜瓜(まくわうり)は家で食べるといってもその数は知れていますので、知人たちに食べていただかなければならない程でした。