「現実世界のどんな日常の些細な出来事であっても、すべて霊的世界(現実を超えた世界)の写し鏡であって、囚われのない、霊的眼差しが向けられたとき、現実世界の背後には、その本質(霊的世界)が読み取れてくる」という。

 これまで繰り返し目にしてきているそのような言葉が「天神様」と「玉手箱」について書かせていただくようになってから、とみに心に響くようになってきております。そして、そうした中に、これからの私たちの在りようも指し示されているようにおもわれるのです。

◆ぼく野菜大好きです。

 今年の夏も暑い日が続きました。残暑厳しい折柄、秋から冬への野菜の種蒔き前の準備として、最初に取り組まないといけない畑の草むしりすらもなかなか思うようには、はかどらないでいるのです。

 夕方、日も落ちて涼しくならないと畑に出られない、そんな私を待っていたかのように見つけると、畑の近くで遊んでいた小学生の男の子たちが飛ぶようにやってくるようになりました。

 以前に‘畑をしたい’と告げてくれた小学5年生の男の子に加えて、その遊び友達だという小学4年生の男の子2人も一緒に畑をしたいと更に加わることになったのです。

 採っても、採っても次々となって食べきれないピーマン。‘食べる?’と聞くと3人ともピーマンが大好きだというのです。どうして食べるのか聞くと、そのうちの一人の子は、焼いて醤油をつけて食べるのがおいしいというのです。‘持って帰っておうちの人に料理してもらってね’と言って、採ってあげたのですが、食べ頃で、もう採っても良いピーマンの見分け方と、ピーマンの枝を傷めないように、その実の採り方を伝えて自分たちでも採ってもらいました。

 すると食べ頃のピーマンを探して採ろうとする3人の目はもう必死なのです。

 まるでこうしたことに飢えていたかのようにです。そして採ったピーマンは3人で分けて、とても大事そうに持って帰ったのです。ふと彼らを見ていて、私たちが彼らの年頃だった頃が思い出されてきました。

 私たちは自然の中で、近所の子たちとの「あそび」のなかで、四季折々、野や山や海で採れる様々なものを誰に制限されることもなく、時には畑で‘採って、食べる’という体験を日常茶飯事に行ってきていました。そして、‘採って,食べること’の 十分な体験の楽しみや喜びが体に沁み込んでいるのです。

 現代の子どもたちには、知的学習に対する取り組みは社会的にも大変なものです。そして、子どもたちも勉強はしなければならないものとおもっています。そうしたことに対して、こうした人間の生きる基本でもある‘採って,食べる’という簡単なことである野生的体験の欠乏を垣間見た思いでした。そしてその欠乏性に気付き○○したい!という思いを伴い、行動に移せる子はまだほんの少しでしかないように思えるのです。

 私たちの子どもの頃では、日常生活の中で当たり前のこととして体験していたことが、現代の子どもたちのその生活の中では、なかなか体験する機会がないように思えるのです。子どもたち自身は、まだそのことを意識するまでには至っていないのかもしれませんが、その心や体が、心や体の成長のバランスを取るためにいかにこうした生活体験を必要としているかを見せつけられたおもいだったのです。

 次々となるミニトマトも、採るのが追い付かず、面倒になってそのまま採らずに放置している状態でしたので、トマトも枝からもいで、そのまま前の公園の水道で洗って食べてみたらと促してみました。自分で採って食べるとなると少々皮が固くても‘とてもおいしい’と感ずるようです。3人とも野菜は何でも好きなのだそうです。野菜嫌いな子の多いこのご時世、珍しいことです。

 スイートバジルもたくさんあって、もう花が咲き始めているので、家で馴染みのある子には、その茎を刈って、両手で、持って帰ってもらいました。バジルソースにしてもらって食べたというのです。そんな畑で野菜を採ることの楽しさに加え、採ってすぐに食べることが加味された野菜のおいしさを知った子たちは、すぐに畑作りに加わりたいということになったのです。

 ‘この畑には何が植えてあるのですか?’一人のお母さんに聞かれました。そうなんです。この畑は、作り手の私の思惑をはるかに超えて、意図して作っている作物に加えて、いろいろなもの(赤紫蘇、エゴマ、青紫蘇、かぼちゃ)などが自生えして、特に草木も茂るこの時期のこと茂りに茂り、それに加えて、この暑さで取れなかった草々が稲丈ほどにもほこっているのです。ですから、外見には一体何が作られているのかはわからないのもごもっともなのです。子どもたちも目につき始めたものに対してこれは何ですかと聞くようになってきました。

 今年は鈴なりになっているキウイの棚の茂みの上には、大きくなった自生えのかぼちゃの実が鎮座ましましているのです。

 ちょうどイチジクが1つ熟していたので‘食べてみる?’と言ってもいで渡すと、子どもたちはイチジクというものを全く知らなかったのです。食べていいのかなあという半信半疑な思いでちょっと口にして、‘微妙な味ですね’という感想でした。

 ‘イチジクって、外国のお話にはよく出てくるよ。今、食べたのは、実ではなく花だそうよ。ちょっと信じられないよね。また時間があったら本などで調べてみておいてね’と、返事を必要としない課題を提供しておきました。彼らとは、イチジク一つからでも、いろいろな世界を広げることができ、これからの彼らとの関わりが少し楽しみにもなってきたおもいです。

 まず大根の種まきから始めることになっています。その種まきを楽しみに、私が畑に出るのを待っていて、いつ種まきができるのかと、私の種まきの準備の進行状況を時々見にやってくるようになったのです。それがこの暑さの中ではなかなか思うようには進まないのです。もう遅いのでしょうが、せめて九月の中頃までには種を蒔いてしまいたいのですが。そんな進行状態に待ちきれなくなったのか、「ぼくたちに何かできることがありませんか」と言ってきたのです。

 種を蒔く前に、畑を耕したいので耕運機で耕してもらうのを待っていることを話しました。だが、なかなか耕してもらえないので、スコップで、起こしてみたが、日照りもあって、地面が固くなっていて、なかなか起こしにくいことを説明しました。すると僕たちもスコップで起こしたいといって、つっかけに、遊びの服装のまま、スコップで起こし始めたのです。そして面白いといって、明日から、自分たちだけでも来て、畑を起こすというのです。こうした大変なことは、一度大根作りを体験してからそれからでもと思い、まだそこまでしてもらうつもりはなかったのですが、ことの成り行きで、彼らに任せてみることにしたのです。種はもう購入してあるというのです。

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