【越山若水】人ならぬ不思議な者が人間に恩を受け、妻となって尽くす―。日本は「鶴の恩返し」のような報恩伝説が豊かだ。岡倉天心が英語のオペラ台本「白狐(びゃっこ)」の元にした「葛(くず)の葉」もその一つで、大阪府和泉市にある信太(しのだ)の森が舞台のお話▼台本の概要を哲学者清水多吉さんの「岡倉天心―美と裏切り」で読める。人に変身したキツネをめとるのは「アベノの領主ヤスナ」。葛の葉に登場する「保名」のことだ。ちなみに生まれた子は長じて安倍晴明となる。敵役「アッケイモン」は葛の葉の「悪右衛門」▼日本の民話を英語のオペラで紹介する―東洋を世界に発信した天心らしい着想だったが、没後100年の2013年、指揮者の平井秀明さんが日本語に訳し曲を付けるまで「未完のオペラ」であり続けた。当時作曲を依頼された米国人レフラーが放置していたらしい▼清水さんは、天心と交流があった富豪の美術品収集家イザベラ・ガードナーが、作曲者選定に関わったとみる。レフラーに対し「いいかげんな人物」と憤慨しつつ、ガードナーの財力なら「あのプッチーニにさえ依頼できただろう」と歯がみするように惜しんでいる▼天心×プッチーニのオペラは実現しなかった。けれど、1世紀をへて白狐に命を吹き込んだ平井さんの仕事には、それ自体に壮大なドラマを感じる。11月に米国で行われる公演の成功を祈りたい。

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