愛した猫を失うということ。それに伴う心の動きを、細やかに書き上げた一冊だ。

 家族を亡くしてから20年近く、一人と一匹で生きてきた瑞季。その「一匹」を失った彼女の悲しみから、物語は始まる。彼女には、恋人と呼べば呼べるんだろうな、と思える相手がひとりいる。けれど、最後の一歩を縮めることがどうしてもできない。終電が来れば、品行方正に、それぞれの部屋へ帰っていく。

 そんな彼女が猫を荼毘に付すにあたり、きわめて丁寧にその骨を扱う火葬屋と、きわめて胸に響く読経で見送ってくれる住職に出会う。その寺は猫がたくさん集まる「猫寺」で、猫たちは境内のあちこちで思い思いの時間を過ごしては、ごはんを食べて、それぞれの寝床へ帰っていく。そんな猫寺へ通ううちに、「一対一」で生きてきた彼女の季節が静かに変わる。寄り添ってくれる誰かの存在を、受け止め、共に生きる季節へと。

 火葬屋にも、物語がある。もちろん、住職にも。それぞれに思い出の猫がいて、それに伴って引き出される、懐かしい人の記憶がある。どうしても、乗り越えられない一線。どうしても、解きほぐせない感情。今は遠い誰かに対してそんなかたまりを抱えつつ、彼らは今日も、猫をおくる。

 「猫をおくる」を考えるということは、「猫と生きる」を考えるということだ。「猫と生きる」を考えるということは、「人と生きる」を考えるということだ。人は、猫を通して人と出会い、関係を紡ぎ、人生を紡ぐ。

 やがて瑞季は猫寺で働くようになり、麦と言う名の少年と友達になる。火葬屋も住職も一緒だ。そこは、瑞季の「居場所」になる。

 猫を飼ったことのある読者にとって、本書は「あるある」の連続なのだろう。押し寄せる悲しみと、遠ざかる悲しみのグラデーションが実に丁寧だ。そして今まさにその悲しみの中にある読者に、本書はとても優しい。あの子がいなくても、続いていく人生。人は、それぞれ孤独でも、それを持ち寄って温め合うことはできるのだ。

(新潮社 1700円+税)=小川志津子

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