【越山若水】女性随筆家、幸田文(あや)さんは明治の文学界を代表する小説家、幸田露伴を父に持つ。自身の作品でも好奇心旺盛で博覧強記の露伴、とりわけしつけに厳しい父親のことを回想している▼母親が早くに亡くなったこともあり「薪(まき)割り・米とぎ、何でもおれが教えてやる」と意気軒昂(けんこう)。箒(ほうき)の持ちようから雑巾の絞りよう、魚のおろし方まで娘に厳しく教え込んだ。ただ少し毛色の違うものが一つあった。社会のことを知る実地教育「この世学問」である▼「父 その死」(新潮社)によると、文さんは弟と2人で厳格そうな老人から漢文の素読を習っていた。そのうちに露伴は「論語だけでは世の中のことは分からない」と言い出し、老師に「浅草教育をしてほしい」と依頼した。日曜日がその実践に充てられたという▼とはいえ、蒸気船で浅草に出向きぶらぶら歩き回るだけ。「雷おこしの原料は知ってるか」「はじけ豆屋のネエさんの給料はいくらだ」「オモチャの細工をよくご覧なさい」などと勝手に話し説明を繰り返す。もちろん寿司(すし)を食べるのも、落語を聞くのも学問である▼文さんにすれば、時にはごめん被りたい場面もあったが、いつの間にか忘れてしまった論語に比べ、浅草での「この世学問」はいつまでも記憶に残っているという。露伴の度量のある教育方針に倣って、この夏休み、実地教育に取り組む好機である。

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