【論説】日本海の荒波を見下ろす断崖の上、坂井市三国町の東尋坊に通じる荒磯(ありそ)遊歩道の傍らにある作家高見順(1907~65年)の文学碑前で先月、高見の文学的偉業をたたえる35回目の「荒磯忌」が営まれた。

 荒磯忌は県内有志でつくる「高見順の会」が催してきたが、会員の高齢化などから今年で最後とし、同会は解散した。文学の衰退がいわれて久しい中、流行にとらわれず、価値ある作品を次世代にどうつないでいくか、考える機会にしたい。

 文学碑は、一高時代の同級生で福井市長を務めた故熊谷太三郎氏らによって67年に建てられた。高見が故郷三国を訪れ、交友が復活したことがきっかけとなった。57歳で発表した詩集「死の淵より」の中に収められている詩「荒磯」の後半部が刻まれている。食道がんの宣告を受けた後に書いた作品だ。

 碑の裏側には、「作家高見順は絶筆詩集『死の淵より』の『荒磯』にも生誕地この三国町を歌つたここに地元友人知己ら文学碑を建て高見の自筆にもとづいてその詩を刻み永く記念とする」と、高見の友人の川端康成が書き記した一文が記されている。

 高見没後20年の85年6月、第1回の「荒磯忌」が、文学碑前で営まれた。鎌倉で暮らす秋子夫人(故人)をはじめ、県内外から約100人が集まり、昭和の日本文学に新しい潮流を生み出した詩業をしのんだ。以来、荒磯忌は毎年欠かさずに行われてきた。

 荒磯忌は当時の文学者や詩人、国語教諭ら約15人が集まり発足した「高見順の会」が企画した。会には、県内の文学愛好家らも数多く名前を連ねた。荒磯忌に合わせ、高見順文学振興会が71年に設立した「高見順賞」を受賞した作家らをゲストに招いた講演会を開催。中央の詩壇と三国をつなぐ役割も担い、参列者らが新しい文学を学ぶ機会ともなってきた。

 ただ運営は、会員の会費と同振興会の協力を得ながら、手弁当で行ってきた。会の解散は、会員の高齢化に加え、4年前に福井ゆかりの作家を顕彰する県ふるさと文学館が開館したことが契機となった。

 発足当初から同会の事務局を務めてきた坂井市みくに龍翔館の上出純宏元館長は「35回続けてきたが、参加者はほぼ当初から関わってきた人に限られ、若い世代に広げていけなかったことが残念」と話す。そうした思いを受け止め、文学を愛する若者を育てていく役割を、県ふるさと文学館に期待したい。

関連記事