◆「福島子どもサマーキャンプ2019」のお手伝いに行ってきました。

 東日本大震災以来毎年TERRAねっと福井の主催で行われてきているサマーキャンプの食事作りのお手伝いがきっかけとなって何年か前に結成された、浅水地区仏教会の婦人部「ひまわりの会」からの連絡で、福井市徳尾町にある禅林寺に今年も食事作りのお手伝いに行くことができました。浅水に兼務寺「月泉寺」があるからです。

 指定された時間には行けないので、先に一人で行って出来ることをしてこようと思いました。

 折角行っても何もすることがないといけないので、その旨、前もって連絡しておきますと、「加藤さんへ 夕食に使う丼などの食器を洗っておいてください」と「ひまわりの会」の方からの伝言が書かれたメモが置かれてありました。

 いつものことながら細やかな温かいお心配りです。

 参加した子どもたちや、スタッフの人たちは、今日は永平寺に出かけているとのことでしたので寺はひっそりと静かでした。先に食事作りの手伝いに来られていた方でしょうか、も、手伝ってくださり、三人で、食器を洗うなどしているうちに、間もなくお昼になってしまいました。‘お昼にしましょう’と声をかけられ、寺に残っていた人たちとみんなで食事をいただくことになりました。

 どこかで昼食でも買って行かないと思いつつも先を急ぎましたので、どうしようと思った矢先のことでした。先に来られていた方が、そこにある材料で既に準備くださっていたようでした。遅くに来ながら…と思いつつも、一緒にお昼ご飯をいただきました。

 例年、ここでの子どもたちやスタッフの人たちの食事は、皆さんのご厚意で集まった野菜や材料を生かして、それに足りないものを限られた予算の中で買い足したりして、色々と工夫して食事作りをされているようです。‘じゃがいもと厚揚げを煮たもの’に、‘ジャガイモと薄揚げのお味噌汁’。そしてどなたかが作られて持ってこられたという‘きゅうちゃん漬け’です。毎日の家族のための家庭での料理を作るなかで培われたその味は、特別な料理ではないのですがどれも家庭料理としてとてもおいしくつくられてありました。

 ボランティアで食事作りの手伝い来られる方々は、それぞれの家庭などにおいて食事作りを毎日やっておられる食事作りにおいてはベテランの方々ばかりです。

 そこにこれまで重ねられてきたキャンプでの食事作りで、お互いの情報交換や、料理についての学び合いを通して、料理の腕も上がり、その上がった料理の腕も加わり、さすがに、その作って下さった料理はおいしく、福井にしかないといわれている「厚揚げ」談議に花を咲かせてみんなでおいしい、おいしいといいながらいただいたのです。

 福島からの一人の子が日常においても貧血の気があるといって、永平寺に行かないで休んでいました。気になったので何か良いものはないかと思ったとき、ふと畑の“飲む(食べる)血液”といわれているという‘ビーツ’のことを思い出し、皆さんに話してみました。すると、皆さんがほしいほしいといわれるので、次の日に、ひまわりの会の人に言付けました

 ついでに、夏場の飲料として2017年に作っておいた、砂糖を入れずに、塩漬けのみで干しておいた梅を入れて、色付けと味漬けした紫蘇ジュースもやはり貧血にいいのではないかと思い、サンプルとして、持って行っていただきました。紫蘇ジュースにと、畑でつんだ紫蘇と、塩漬けの干し梅を添えてです。すぐに効果が出るとは思われませんが、何かの力とればと思うのです。

 昼食後、手があるときにやっておいてほしいと担当の方から言われて、五目寿司の具を作るお手伝いもさせていただきました。どーんと大きな袋に入った高野豆腐やひじきや干しシイタケを出してきてくださったのですが、3~4升のお寿司の具と言われても日頃そんなに多く作ることはないので、どれだけの具を入れてよいのか全く見当が付きませんでした。が、レシピで人参の重さを出していただけましたので、その人参を切った量を基準にして、干しシイタケ、高野豆腐、ヒジキなどの具の入れ具合のバランスを見て、材料を切って、煮て、帰らせていただきました。後日の五目寿しに使う具として冷凍保存にしておくのだそうです。

◆たかが「物干しざる」。しかし・・・・。

 何年前のことかは全く記憶にないのですが、最初、梅干しを干すために、ホームセンターなどで売られている竹で編まれた平らな物干しざるを購入しました。届けられる梅の量の多さや、年ごとに増えていくその用途に応じて買い足して、とても重宝に使ってきているのです。

 近年では、梅ぼしを干したり、切り干し大根作りに、採り過ぎたたけのこをゆがいて干して保存したり、海から採っていただいたたくさんのわかめを干すためにと、片付ける間もないくらいに使ってきています。

 今回、梅干しに漬けるために洗った‘しそ’を乾かそうと、ざるを出してきました。

 大小いくつかあるうちの大きい方のざるの一つが、これまでの長年の使用で枠が外れてかなり傷んでいるのです。これ以上使うにはもう限界の状態でした。それで処分しようとようやく決意したのです。でも直径70センチ近くの大きさですので、そのままごみステーションにというわけにもいかず、かといって、竹は、しなるのでそう簡単に折れて小さくはならないようです。

 そこで、面倒だなと思いつつも、意を決して、分解してゴミに出すことにしたのです。枠をしっかりと巻きつけてあったところのほどけているところから、さらにほどいて分解しようと竹の皮を細く裂いて作られている紐状のものを逆向きにほどき始めた時、その巻き付け方に驚きました。何気なく巻かれているようなのですが、すべて竹でできているそのざるは結び目などは一つもないのです。どんなに細く削ってあったとしても、やはり竹ですから、結ぶことなどできないのです。その竹紐が絶対に緩まないように下を潜るようにして巻いていってあるのです。

 一つのざるは、それぞれの用途に合うような必然の太さや厚さに削り分け、同じ竹という素材のそれぞれの部分、部分の特性を実に巧み生かして作られているのです。物を干す平らな所は、これも必然とおもわれる5ミリくらいの細さと1ミリくらいの薄さにまで削られたひごで、縦横交互の平織りのように編んであるのです。その編んだ面を丈夫に保護するために、さらに竹の皮の部分を使った1㎝くらいの幅のやはり1ミリくらいの薄さにはいだ竹で、今度はカゴメ紋のように編んでしっかりと補佐されているのです。そのカゴメ紋の編み方にも驚かされました。絶対にずれたり、ばらばらにほぐれてしまわないように、お互いの下をくぐらせることにより互いのひごが締め付けあい、押さえつけあうようになっているのです。

 そして、その編まれた二面の面は、枠でしっかりと挟まれて、先ほどの竹の皮で作られたひも状のもので、巻き付けてそれなりの重さにも耐えられるようにしっかりとしたざるに作られているのです。そしてその枠は、それぞれ違った竹の部分、部分がそれぞれの用途に合うように、幅の太さ、細さ、厚さ、薄さに削り分けられて様々な部品が作られていて、その部品がこれも実に見事なまでにきちんと組み合されて作られているのです。

 長年‘物干しざる’としか思わずに使ってきたこれらのざるに、これほどの人の深い知恵が生かされていることなど、これまで全く気付かなかったのです、これ等のざるは、一体、どこで、誰によって、どのように作られてきているのかを改めて知りたい思いに駆られました。まさか外国製?

 自然界に存在するものは、人間をはじめ、すべて木の葉一枚にしても同じものはないといわれています。それを「個性」というのだそうです。竹も自然界に存在しているものですから、同じものが二つとはないでしょう。それぞれのざるは、同じような大きさやサイズに作られているように見えるのです。が、それぞれの部品にあたる部分を材料が竹ですから機械にかけて全く同じサイズに作ることは不可能のように思われます。それならばどこまでが手作りで…、あるいは、すべてが手作りで作られているのでしょうか。今一度尋ねたいおもいに駆られるのです。

 何気ない身近によく使われているそれほど高価ではないこうした日常の生活道具の中に、こんなに深い知恵が生かされているものがあることを目の当たりにして、改めて感動の思いで見入ってしまいました。昔の人はこうした知恵を豊かに生かしながら暮らしてきていたのです。でも今の福井ならば私たちの身の回りにはこうした類のものが、まだ、たくさんあるように思われてならないのです。

 今でも頻繁にやってきて、家の前の電線にとまってさえずっているのは、私の家にかけられた巣で育った燕たちなのでしょうか。ざると格闘している私を見ていてか、しきりに例のさえずりをさえずっているのです。

◆ぼく畑をしたいのです。

 ‘お兄ちゃんは畑にいませんか?’小さな男の子が、畑仕事をしている私に声をかけてきました。’お兄ちゃん?  お兄ちゃんのお名前は?‘ ’ああ、○○君ね。ボクは○○君の弟さんね。‘弟さんが畑にお兄ちゃんを探しに来るまでに、もう、私の畑がお兄ちゃんの居所の一つになっているのかとおもうと、おもわず口元が緩みます。

 ‘僕、畑仕事をしたいんです’ 先日、畑をしているとき、近所に住む小学五年生の男の子にそう声をかけられたのです。それ以来、畑にいると必ず‘こんにちは’と声をかけてくるのです。そんな時、畑で採れるものを少し採って‘お母さんに料理してもらってね’と渡してあげると、’ぼく、お野菜大好きなんです‘といって、喜んで持って帰って、後日、必ず何々の料理をしてもらっておいしかったと、きちんと報告があるのです。

 先日もじゃがいもを掘っていると、ちょうど学校からの帰りだったのでしょう。声をかけられました。’じゃがいも掘ってみる? ‘と聞くと、’掘りたい‘というので、’宿題もあるだろうから、やることやってからおいで‘と言うと、とりあえず鞄を置いてすぐに飛んできたようです。’畑には蚊もいるし、長そで、長ズボンで、汚れてもいい靴や服で来てね‘というと、また、長そで、長ズボンに着替えて、来ることの早いこと、早いこと。

 しかし、ジャガイモを掘る手つきから、畑の仕事にはあまり、慣れてはいないようでしたので、持って帰れるだけのじゃがいもを一緒に掘りました。そして、掘ったじゃがいもは着ている服に包んで持って帰るというので、洋服が汚れてしまうので、ちょうど家から届いた「箕」という入れ物に入れて持って帰ってもらいました。よほど嬉しかったのかまるで跳ねるように持って帰ったかとおもう間もなく、すぐに容器を返しに戻ってくるのです。

 それから数日後、畑の草むしりをしていると、’お話していいですか‘と、声をかけてきましたので、’いいですよ。どうぞ‘と言って、草むしりをする傍らに誘いました。ちょうど草むしりをしていたので、草は畑の肥料になるということ。地面の下にはいろいろな生き物がいて、それらの生き物には草も必要で、それらの草や生き物のおかげで、作物が育つと言われていることなど畑の話を少ししてあげました。

 すると、’ぼく、将来、農家になろうかな。‘と言うので、’まだ小学生だから、早くから将来のことを決めなくても、いろいろなことをやってから決めればいいのでは? 他にやりたいことや好きなことはないの‘と聞くと、’ぼく歴史が好きなんです。虫も好きです。‘と、即答です。小学五年生だともう郷土の歴史などで習っているのではと思い ‵そう。それでは、橋本左内という人、知っている?‘と聞くと、’ああ、安政の大獄の…人ですね。‘とまた即答が返ってきました。

 では、‘由利公正は?’‘ああ、五か条の御誓文の…人ですね。’とまた即答です。そして学校では英語の勉強も始まっているという。どんな風な勉強かと聞くと、外人さんによる、遊びのような授業だという。‘僕なかなか覚えられなくて、すぐに忘れてしまうので…というのです’。きっと単語や文章を覚えるのが苦手だというのでしょう。‘あのね。小さな子は別に勉強をしなくっても、毎日おうちの人たちと話しているなかで、ひとりでに英語なり、日本語なりを話せるようになるよね。本当は、言葉というものは勉強しなくてもできるようになるものだと思うのだけれどもね。そして、日本の学校のように、「いろいろなことを覚えなければならない」という学校だけではなくて、「忘れなさい。忘れてもいい」という勉強の仕方をする学校もあることを話しました。そして、先日畑で出会って彼にも紹介した、近くに住むALTの先生のことを話しました。

 最初はほとんど日本語の出来なかった先生と、うまくはない私の英語での会話について話しました。これまでの必要に迫られて英語を話さなければならない機会がよくあったので、話すことへの抵抗というよりも、なんとか伝えたいという思いが先立っていたということ。それで、その程度の会話力での会話が主でも、その先生は、拙い私の会話から私の伝えようとしていることをいつもきちんと読み取って理解しようとしてくれていることなどを話しました。

 どちらか言えば、シャイで消極的な福井の子らにとって、外国の人に自分から話すことがどんなににがてなことかはよくわかります。しかし、それだからこそ、まずは、勇気をもって話すこと。うまく話せないということで気おくれして話さないのではなく、話したいという思いが先にあれば、話したいと思うことをどういえばいいのか何度でも先生に教えてもらえばいいこと。忘れることは恥ずかしいことではないので、何度でも聞いて、話すことが楽しくなることが大切で、そうした中で、話せるようになっていくとおもうということも話したのです。

 そのことで、ふと、福井の高校受験のことに思いが及びました。誰の発案によるのか、英語検定の級の合格が入試の点数に加味されるという制度が取り入れられてきているのです。英語の好きな子は別として、英語が苦手の子はより苦手になって英語嫌いになっていくというのです。英語力のレベルを上げるためにと採択された制度なのでしょうが、語学を学ぶうえで、あまりにも学ぶということに対して、短絡的な、愚かすぎるように思えるこうした制度に対して、どれだけ多くの中学生やその保護者にとって大変な負担となっていて、反感の対象となっているというその現状を目の当たりにしてきたのです。これは、生徒さんや保護者のみならず教師にとっても反感感情を募らせることを間近で耳にしてきました。

 さらに加えれば、そうした拙い私の会話に対して、そのALTの方はいつもとてもほめ上手で‵うまい、うまい’と言ってほめてくださるのです。私の年になれば、自分の実力については知っていますので、それで有頂天になることはないのですが、それが子どもであれば些細なことでもほめてもらえることがどんなに話すことの楽しさや、勇気づけや、自信となることかを身を持って体験していることなのです。子どもたちの英語の授業が、そうした話すことが楽しく進められることのなかでその力がより充実したものとなっていくことを切に願うのです。

 後日、おうちの方々にお会いする機会があり、お礼を兼ねて、お声をかけていただきましたので、福井市の郷土歴史に行く機会を作ってあげられるとよいのではということをお伝えしたのです。

 お母さんも賛同の様子でしたので、歴史館の学芸員さんに電話して、歴史の好きな小学五年生のお子さんがおられるのだが、近々歴史館で、そうしたお子さんを対象にした、催し物がないかをお尋ねしました。すると、すぐにいろいろな案内を送ってきてくださいましたので、その案内を持って、初めてそのお子さんの家を訪ねました。  

 幸い、お母さんもおられ、まずは、歴史館に一度行ってみましょうということになり、私も案内を兼ねて同行することにしました。当日は、お父さんもご一緒で、みんなで、歴史館に行き、本人の見たいものを中心として常設展を見て回りました。

 ついでに養浩館にも寄りました。その日はめったにないことなのですが、思いがけず何人かの学芸員さんにもお会いでき、直接お話を聞いたり、これからの、夏休みに行われる催し物についての詳しい説明もいただけるというとてもラッキーな出会いもありました。

 男の子の五年生にもなると、興味を持った世界については自分なりに、あるいは友達と刺激し合って、おうちの人も、‘もうついていけないのです’と言われるほどに深めていっているようです。

 養浩館でも、たまたま語り部としての「舎人の会」の方の説明をお聞きすることもできました。こうした機会が、今後のその子にとっての学びが、さらに持続し、充実したものになっていくことにつながっていくことを願わずにはいられないのです。

 畑では、一緒にこれから実験的に、秋収穫のじゃがいも植えや、大根を作ってみようねと話してもいるのです。

 この春からは大学生になった孫の誕生をきっかけに、福井に伝わる天神様を贈る習慣に、「天神様とは?」という疑問に始まった、その疑問に導かれるように現実の世界に置いてもいろいろな世界や人との遭遇がありました。

 そして、そうした出会いが今もなお続いているのです。天神様とは?という疑問を抱きながらの、そうした出会いをこれまで書かせていただいてきております。

 一方、私たちが住んでいる福井の地や風土にも満ちているであろう、そうした御力や働きに対しても、目には顕わではないので、日頃ほとんど意識的ではないそうした世界にも目を向けて、観ていけたらと思います。

 時期的にはまだ少し早いのですが、まずは「越前水仙」から。

◆―越前水仙に導かれて(1)―

はじめに

 今の世で学問的には認められずとも、「そのことがその人にとって内的に真実であればそれはまさに真実であるといってよい」ということをある講義で聞いたことがあります。越前水仙との出会いは、私にとってまさにそういう出会いだったように思います。ですからいつかは私が体験したことのいきさつを事実に即して忠実に思いだし、書き記しておかなければならないと思ってきました。なぜならそのなかに私たちが読み取らなければならない何かとても大切なものが秘められているように思えてならなかったからです。

 「越前水仙に導かれて」というタイトルは、大変オーバーな表現のように思えるかもしれませんが、これまでの出来事からも、私にはこう表現することが最も適しているように思われるのです。

<越前水仙に導かれて>

 童話や民話は、古いといわれ、今人々から忘れさられようとしています。しかし、童話や民話の世界に深くかかわってみると、そこには大変な世界が秘められていることがひも解かれてくるのです。ですから私たちの園では、よく子どもたちに昔から伝わっている日本のお話や、グリム童話などを簡単な人形劇に仕立ててお話しています。

 これまで、子どもたちだけでなく、大人の人も対象に、何度か福井の伝説を上演したことがあります。こうしたことから越前海岸の越廼村に伝わる水仙伝説を人形劇化して上演しなければならなくなったのは、昭和63年12月のことでした。童話や民話に秘められている世界を知る前は、とりたてて越前水仙を意識することはあまりなかたように思います。しかし、今、特に意識して思いだそうとすれば、幼い頃、友達とので遊ぶ足元で。あまり目立たず、ひっそりと咲いている水仙でした。特別手入れされることもなく、茂るに任せて生えている水仙の葉は、広く長く伸び切って、だらんと折れ曲がり、その中にやっと一本か、二本の花を見つけられたらいいという状態でした。

 「水仙」の話を人形劇に仕立てるにあたって、どうしても腑に落ちないことがありました。水仙は、よく知られているように福井の県花です。日本海から吹き付ける寒風に耐えて咲く花のキャッチフレーズで売り出されています。しかし、水仙から醸し出される雰囲気として「耐えて咲く花」という痛々しさや、強さがどうしても感じられないのです。人形は和紙を使って作りたいと思いました。しかし、水仙の本質がきちんとつかめないと人形すら作ることができません。 人形劇を見る人は、幼児と同じくらいに物の本質を鋭く見抜く人たちの集まりです。ごまかすことは出来ません。

 それまでは福井に住みながら一度も実際に現地で咲いている水仙を見たことがなかったのです。ですから、現地に行って実際に見てこなければ何も始まらないように思え、12月の寒風の吹きつける荒れた日を選んで越前海岸の水仙の里に車を走らせました。

その日は強風波浪注意報さえ出ていて、車から出ようとしても風が強く、車のドアが風に押されてなかなか開こうとしなかったくらいの日でした。しかし、水仙畑に咲く花に顔を近づけ、日本海から吹きつける風を一緒になって受けてみると、予想したほどには寒くはないのです。どうしてだろう。不思議さは深まるばかりでした。

 この疑問をどう言葉に表したらよいのでしょう。後日水仙の仕事に携わっている幾人かの方に、うまくまとまらないままに電話で尋ねてみました。しかし、水仙はただ観光物の水仙として扱われているだけであって、水仙が醸し出す雰囲気や、日本海から吹きつける風がどうのこうのという、私が知りたいと思っている水仙そのものに対して答えてくださる人は誰もおられませんでした。こんな質問には答えようがなかったのでしょう。かえって、そんなことを疑問に思う私が怪訝に思われるだけでした。そして、それも仕方のないことだろうと自分で納得も出来るのです。こんなことを疑問に思うこと自体無謀なことかもしれません。半ば諦めかけたところ、確か農協の組合長さんとお聞きしたかと思いますが、うまく言葉に表すことの出来ない私の思いを充分にくみとって、次のようなことを教えて下さったのです。

 「水仙は、もともとは決して寒いところで咲く花ではなく、むしろ温かいところで咲く花であるが、日本海には、暖流が流れているから咲くことができるのだという」そういえば、北陸地方は水仙にとって最北減であって、これより北の地域では、咲かないということは、以前聞いたことがあります。しかも、「福井は野生の水仙が群生する地域としては、北限だということです。ですから、福井から暖かい地方である、千葉や淡路島にも球根が送られて栽培されている」とのことです。

 では、暖かい地方で育つ花と、北限で最も条件の厳しい越前海岸で咲く花との違いはありますか、とお聞きすると、「はっきりとした違いがあるといわれるのです。その違いは、葉と花の色や形や香りに現れるというのです。越前海岸の水仙の葉は、細く引き締まり、花弁の一部である黄色の部分の濃さも、その香りも増してくる」というのです。このことをお聞きして、ただ単に水仙に対しての疑問が少し解けたというだけでなく、そこに自然の深い摂理を読むことができたとさえ思われたのです。

暖流、それは水仙を育む力です。水仙にとっての生命力なのです。命あるものはすべて生命力に支えられて育まれます。人間も厳しさや苦しみのどん底にあって甦ることの出来るのは暖かさや、やさしさではないでしょうか。

 もう一方において、水仙にとって、これ以上の寒さでは生命を保つことができないぎりぎりの寒さこそ、水仙の存在を最高の美しさに整える働きとなっているのではないでしょうか。庭の鶏頭やカンナの花も、秋も深まってなおも咲き続ける花は、夏のそれとは異なってさらに一層その色が、冴えてくるものです。言いかえれば、そのものにとっての試練は、そのものの存在をより美しく整える作用をするのではないでしょうか。そして、そこからにじみ出てくる美しさが、見る人を深く感動させるのだと思います。越前水仙は、水仙の中でも、生命力と、存在そのものを整える力がぎりぎりのところで、最も調和した花と言ってもいいのではないでしょうか。

 拙著『ふるさとへの思いから』―越前水仙に導かれて― (平成8年8月8日発行)
 

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