前回は測候所の観測について述べましたが、別の所の重要な施設を追記します。昭和40年8月三国の陣ケ岡に気象レーダーが設置運用され、9月には奥越豪雨(大野西谷村で日降水量844mmを観測)の予報警報発表に威力を発揮しました。気象レーダーは改良されてデジタル信号により全国の雨雲が毎日テレビで放送されるようになりました。

 観測機器も原始的な観測方法から改良され、昭和48年には地上気象観測装置(※1)による観測を始めました。

 ※1地上気象観測装置 雲・視程・大気現象は観測者が目視によって観測しますが、気圧・気温・湿度・風向風速・降水量・積雪の深さ・日照時間・日射量は感部から電気信号に変えて観測室のデータ変換・処理装置へと送られて記録されます。

〇予報編                          

 明治30年に福井測候所が観測業務を開始した当時は、予報を出す資料は無く、中央気象台が発表した予報や警報を電報で受け取り、関係各所へ通知していました。市民への通知は測候所の敷地に警報信号標を設置して形象標識(※2)や灯火標識(※3)、注意報標識(※4)で知らせていました。

 ※2形象標識
 風向予報は三角旗(底辺:長さは3:4)、北風は白色、南風は赤色。天気予報は方旗(長辺:短辺は4:3)、晴れは白色、雨は青色、曇り時々雨は方旗を二分し上は赤色下は青色。寒暖の予報は長三角旗(底辺:長さは2:5)、暑くなるは赤色、寒くなるは白色など。

 ※3灯火標識
 電柱に電球を付けて色により予報する。白色は晴れ、青色は雨など。 

 ※4注意報標識
 吹き流しで強風注意報は赤色、大雨注意報は青色など。 

 大正14年にNHK東京放送局が天気予報をラジオで放送開始しました。新聞にも天気図と予報が掲載されていましたが、昭和16年11月30日に機密保持のため掲載禁止となり、天気予報は知らされなくなりました。

 再開されたのは太平洋戦争終了後の昭和21年4月でした。昭和28年にはテレビで天気予報発表。昭和34年に気象庁にコンピュターが導入されて数値予報が現実のものとなりました。昭和35年に気象無線模写放送(FAX)を受信し、手書き天気図は不要となりました。同年には電話(177)で予報を知らせるようになり、現在も継続しています。昭和61年に降水確率予報が導入されました。

 予報作業は日々進歩してプロット(無線で電報を受信し、天気図に記入) 、解析(プロットしたデータを基に等圧線や前線、雨域を色付けする)していた昭和30年代から見ると、現在は中央で作成した地上や高層天気図、更にはコンピュターで作成された各種の予想天気図や降水確率、発雷確率など予報に必要な資料はFAXで送られてくるようになりました。手作業は少なくなりましたが、県内のアメダス観測所のデータにより天候の急変などを監視して、注意報や警報をいち早く発表出来る体制を整えています。

 県内6月の気象は、降水量は嶺南で少なくその他は平年より多く。気温はほぼ平年並みでした。日照時間は全県で多くなりました。

 気象庁が6月末発表した北陸地方の3ヶ月予報は、気温は平年並みか高め、降水量は平年並みか多めと予想しています。
 

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