ハンセン病家族訴訟で熊本地裁が国に賠償を命じ、掲げられた勝訴の垂れ幕=6月28日午後2時4分、熊本地裁前

 ハンセン病患者の隔離政策で本人だけでなく家族も深刻な差別を受けたとして、元患者の家族561人が、国に1人当たり550万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の判決で、熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)は6月28日、国の責任を認め、賠償を命じた。元患者の家族が起こした集団訴訟では初めての判決。

 元患者本人の訴訟では、2001年5月の熊本地裁判決が隔離政策を違憲とし、国に約18億2千万円の賠償を命令。小泉純一郎首相(当時)が控訴を断念し、国は謝罪した。ただ、その後創設された補償の対象は本人の被害だけで、家族の被害は含まれなかった。

 今回の訴訟で原告は、隔離政策により家族も偏見や差別を受けたのに、国は対策を取らず平穏に暮らす権利が侵害されたと訴えた。国は、家族は隔離の対象でなく差別や偏見を直接助長してはいないとして争い、時効により賠償請求権が消滅したとも主張した。

 同様の家族訴訟では、母親が患者だった鳥取県の男性が国と鳥取県に賠償を求めた訴訟で、鳥取地裁判決が15年9月に請求を棄却し、昨年7月に広島高裁松江支部も支持。男性は最高裁に上告受理を申し立てている。

 【ハンセン病とは】

 ノルウェーの医師ハンセンが発見した「らい菌」による感染症。末梢(まっしょう)神経がまひし、皮膚のただれや体の変形などで障害が残る恐れがあるが、感染力は弱い。日本では医学的根拠のないまま隔離が始まり、1931年の旧「らい予防法」で強制隔離を法制化。断種・中絶手術の強制など、薬の開発で治療法が確立された後も差別や人権侵害が続いた。法律は96年に廃止。各地の国立療養所には、現在も多くの元患者が生活している。

 【ハンセン病を巡る経過】

 1907年 法律「らい予防に関する件」成立

 1931年 「らい予防法」(旧法)成立。全患者が隔離対象に

 1953年 らい予防法の新法成立。隔離政策維持

 1996年4月 新法廃止

 1998年7月 療養所入所者らが国家賠償を求めて熊本地裁に初提訴

 2001年5月 熊本地裁が隔離政策を違憲と認め、国に約18億円の損害賠償命令。小泉純一郎首相(当時)は控訴を断念し謝罪

 6月 ハンセン病補償金支給法施行

 7月 入所者、退所者に関する和解合意書に国と原告団が調印

 2002年1月 非入所者や、提訴前に死亡した元患者の遺族も調印し和解

 2015年9月 母親が患者だった鳥取県の男性が国と県に賠償を求めた訴訟で、鳥取地裁が請求棄却

 2016年2~3月 元患者の家族が国に賠償を求め熊本地裁に集団提訴

 2018年7月 広島高裁松江支部判決でも鳥取県の男性敗訴

 2019年6月28日 熊本地裁で家族の集団訴訟判決。国に賠償命じる

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