(筆者撮影)

 青い海に白い砂浜、まばゆい日差しの下に広がる鮮やかなレッドカーペット…。フランスのカンヌ国際映画祭は、世界の映画人にとって夢の舞台だ。今年5月、そこに一人の男が降り立った。チェックのシャツにカウボーイブーツというカジュアルな姿ながら、胸板の厚さが尋常じゃない。伝説のアクションスター、御年72歳のシルベスター・スタローンである。

 スタローンといえばロッキー+ランボー=闘う寡黙な男、と思いきや、映画人たちの講演「マスタークラス」のゲストで登壇した彼は、集まったファンにニコニコと手を振る好々爺の風情。しかし、ひとたび口を開けば、あふれ出す熱いファイティング・スピリットに、集まったファンのボルテージは最高潮。約1時間半、ユーモアたっぷりに撮影の裏話や人生訓を披露し、名実ともに現役バリバリのファイターであることを印象づけた。

 トークはフランスの映画ジャーナリストとの対談形式。「『ロッキー』が、単なる映画を超えた社会現象になったのはなぜだと思うか」という質問に対してスタローンは答えた。

 「(ロッキー旋風は)はとても現代的な現象だったと思う。ボクシングは、映画のテーマとしては決して珍しくないけど、あの作品は何かが違った。とても孤独な男が、ある女性に巡り会って生まれ変わるというストーリー…つまり、ボクシング映画ではなかったのかもしれない。ボクシングは、『絶え間ない闘いである人生』の象徴だった。しかも1976年という、政治的にはとても暗い時代に生まれた希望に満ちた作品だから(人々に受け入れられた)。ラッキーだったよ」

 孤独なロッキーの唯一の話し相手はペットの亀だった。驚くことに、彼らはまだ生きていると明かしたスタローン。「奴らは今も僕の唯一の友達だ。亀以外はみんな死んじゃったからね」と肩をすくめると、会場は爆笑。1作目の撮影時の思い出を尋ねられ、「本当に予算がなくて、着替え用の個室すらなかった。偉大な作品は無から生まれることもあるってことさ」と振り返った。ロッキーは77年の米アカデミー賞の作品賞を受賞し、スタローンを一気にスターダムへと押し上げた。

 驚いたのは「ロッキー4」撮影時のエピソードだ。ロシアのボクサー、イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)とロッキーがリング上で死闘を繰り広げる場面の撮影は「本当に激しかった。狂っていたよ。あんなこと、もう二度とできない」と苦笑い。2日間の撮影のために、何か月ものリハーサルを繰り返したというが、「撮影後、僕は4日間病院に入院するはめになった。病院に運び込まれた姿を見て、病院のスタッフたちは交通事故に遭ったと思ったらしい」

 ロッキーで成功を収めた後は、どのように出演作を選んでいたのか、との質問には「ダスティン・ホフマンにランボーはできないし、僕に『トッツィー』はできない。自分の『箱』から出ないように、できることを完璧にやろうと努めていた」。

 それでも長くつらい時期があった。80年代後半からは、「コブラ」や「デモリションマン」など、鍛え上げた肉体を売りにした作品に出演したが、大ヒット作には恵まれず、俳優としての評価も下がっていった。「このころは、2年先まで出演作が決まっている状態だった。そういうビジネスのシステムに自分は落ちた」

 後に、成長した娘から「パパ、何でこんなにひどい映画をつくったの?」と指摘されたことがあると明かし、「『黙れ、お前の教育費を払うためだったんだよ!』と答えてやったよ」。

 そんなスタローンが、90年に最後の一矢として放ったのが「ロッキー5 最後のドラマ」だ。「自分のキャリアがスパイラルのように下降していく中、もう一度ロッキーを復活させ、そして自分も引退しようと思った」

 それでも、スタローンはよみがえった。9月に米国で公開される新作「ランボー5 ラスト・ブラッド」(原題)では、なんと主役を務めるという。82年のシリーズ第1作から、ジョン・ランボーを演じ続けていることになる。「35年ものファイターなんて、100歳のカンカンダンサーみたいなものだよ」と嘆きつつ、「彼にはベトナムで培ったサバイバル技術や知恵があるから、まだ戦える」と胸を張った。

最後に、40年以上俳優を続けているあなたのレガシーは何か?との質問に、「レガシーなんて、あまり考えたことはないが」と前置きした上で、「人生はパンチを繰り出すことの繰り返しだ。それが自分のやってきたことだ」と言い切ったスタローン。目尻にはしわが刻まれた、不死鳥のようなリアル・ロッキーの姿に、満場の拍手が送られた。(安藤涼子・共同通信文化部記者)

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