「来年の桜は見られない」と余命宣告されてから、6回目の春。英二さん(仮名)は「桜を見るたび、生きていることを実感する」と話す=4月、福井県福井市内

 30歳だった2009年、福井県福井市の英二さん(39)=仮名=は、体がだるくて病院へ行った。その日のうちに「慢性骨髄性白血病」と告知された。即入院と言われ、着替えを取りに自宅へ戻った。自宅から病院へ向かう車中、「人生最後の1本」と、たばこに火を付け、根元まで吸った。

 仕事は辞めた。1カ月入院し、その後は1錠数千円の薬を飲み続けた。お金はすぐに尽き、間引いて飲んだ。1年ほどで服用をあきらめた。

 経済的に、働かないわけにはいかなかった。会社の採用面接では、治療で休むことがあると思い病気のことを告げた。「仕事中に倒れても会社は責任を負わなくてよい、という親の承諾書を」と言われた。「こんなものを出さなきゃ採用されないのか」。強い憤りを感じながら、父の実印を押した書類を提出した。

 残業が多く、夜中に仕事をしてそのまま朝、病院に行くこともあった。1年ほどたち、運転中に居眠り事故を起こした。また仕事を辞めた。

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 2013年12月、熱が出た。せきや鼻水は出なかった。「やばい」と思い、血液内科に走った。再発だった。医師から「余命3カ月。来年の桜は見られないでしょう」と言われた。「終わったな。身辺整理をしないと」。離婚後、会っていない娘の顔が浮かんだ。

 翌年の正月。一時帰宅が許され、娘に会った。ゲームやぬいぐるみなど、欲しいと言われたものは全部買った。「してやれることは最後だと思ったから」。夜は実家に泊まり、2人で一緒に寝た。

 治療を受けられるだけの金は残っていなかった。病院のスタッフから、薬代や治療費が無料になる生活保護を勧められた。抵抗はあったが、断れる状況ではなかった。

 兵庫医科大学病院で造血幹細胞の移植を受け、2016年3月に福井に戻った。治療を続け、生活保護を受けながら、鉄工所で働き始めた。しかし薬の副作用で手のひらや足の裏が炎症を起こした。歩くと激痛が走り、スパナも持てなくなった。昨秋に仕事を辞めた。

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 若いがん患者は金銭的に余裕がなく、働かざるを得ないケースが多い。英二さんは「時短勤務や在宅ワークが普及すれば、仕事はしやすくなる。出勤という行為そのものがつらいときがあるし、夜中に体調が良いときもある」

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