「自分の知識、経験を伝えたい」と熱の入った指導をする水尾嘉孝さん(右)=福井県福井市角折町の金井学園室内練習場

 プロ野球オリックスなどで投手として活躍した福井工業大学(福井工大)出身の水尾嘉孝さん(51)が、福井県福井市の金井学園の統括投手コーチとして、今年3月から母校の野球部などを指導している。現役時代に度重なるけがを乗り越え通算269試合に登板し、34歳で米球界へ挑戦。引退後はイタリア料理のシェフに転身した異色の経歴を持つ。50歳を過ぎて初めて本格的なコーチ業に挑み「自分の知識、経験を学生に教えたいと思っていた。野球界への恩返し」と、思い出の福井の地で意欲を燃やす。

 「気持ちを入れたってボールは速くならないよ。腕を振り切らないと」。投げ込みをする選手の後ろから、水尾さんの快活な声が何度も飛ぶ。「僕の仕事は延々と説明し続けること。技術は簡単に上がらないことは身をもって分かっているから」

 福井工大から大洋(現DeNA)にドラフト1位で入団し、プロ野球界で12年間活躍した。その土台は「新人時代のコーチからすべて教わった」と言う。「どうしたら速く投げられるか、制球が良くなるかを細かく説明された。学生時代は気持ちが一番大事だと思っていたけど、プロになって、そうじゃないことを知った」。金井学園のコーチを引き受けたのは、当時の思いが強く残っていたからだ。「上達のために必要なことは、気持ちではなく知識。それを伝えたい」と言葉に力がこもる。

 波瀾万丈―。そんな言葉が似合うが、「無謀なことをしてきたわけではない。可能性があったからそれを追っただけ」と振り返る。日本で戦力外通告を受けての渡米は「まだ投げられる自信があった。思う存分、力を試したかったから」。引退後にゼロから料理人を志したのも「手に職を付けようと思い、興味と将来性がマッチしたのが料理だった」とさらり。日中は皿洗いなどの下働き、夜間は専門学校で勉強。ハードな日々にも「諦めようと思ったことは一度もない。いかに最短で料理人になれるかを考え、後は行動するだけ」と突き進んできた。

 東京でイタリア料理のレストランを経営しながら3年前から月1回、福井工大の指導を始めた。店舗移転のため今年1月で店を閉めると、期限付きながら今春から専任コーチに就いた。大学生だけでなく、中高生も指導するようになった。「環境が限られる学生野球は工夫が大事。僕の知識と経験をフル活用したい」。熱い思いを胸に選手とともに汗を流す。

 ■水尾嘉孝(みずお・よしたか)奈良県出身。高知・明徳義塾高から福井工大に進み、日米大学野球の日本代表に選ばれた。ドラフト1位で1991年に大洋(現DeNA)に入団。95年にオリックスへ移籍すると、97年はリーグ最多の68試合に登板するなど中継ぎとして活躍。2001年に西武に移り、03年オフに退団。04年に米・エンゼルスと契約、3Aなどでプレーし06年2月に引退した。日本での成績は通算269試合7勝9敗2セーブ。引退後は料理の道に進み、10年から19年1月までイタリア料理のレストランを経営した。

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