音楽の授業って何を習ったんだっけ? リコーダーを手にした記憶はあるけれど――。ということで、ジャズミュージシャンで批評家の著者が平成30年間の小・中・高校の音楽教科書を総点検し、音楽授業の功罪とあるべき姿を考えた。

 義務教育として習うのは、まずドレミに基づく西洋音楽だ。というか明治以降の日本の音楽教育は、それまで身近にあった長唄や小唄、浪曲といった邦楽のほぼ全面否定から始まっている。秩序だった拍と音程を持つ西洋音楽で国民の身体の近代化を図ろうとした。

 教科書は「うたでなかよしになろう」と合唱、合奏を呼びかける。みんなで鑑賞させる。授業で習う音楽は非営利で公共的な「みんなの音楽」だが、一方で私たちが日常親しんでいるのは「商品化された音楽」「歌手個人と結びついた音楽」「自分一人で聴く音楽」だ。

 両者の断絶を中学の器楽解説書が象徴する。平成に入って「日本の伝統音楽」の記載が急増し、和太鼓、三味線、尺八など和楽器の解説が半分を占めるまでになった。これに対し、今やポップスに欠かせないエレキギターや電子楽器は一切無視されている。音楽の授業が記憶に残らないわけだ。

 中学までの授業を受けていれば、自由に歌って演奏する知識と技術が身につくように教科書は作られているという。問われるのは、それを日常親しむ音楽にどう結びつけるか。

 文体はポップだが、音楽の持つ公的な側面と私的な側面について考えさせるユニークかつ優れた批評の書。

(新曜社 1600円+税)=片岡義博

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