勝見誓司さん(左から3人目)に聖火を引き継ぐ松岡喜一さん(同4人目)=1964年9月28日、福井県若狭町(松岡さん提供)

 1964年9月28日午前9時半。東京五輪の聖火は京都府から福井県内に到着し、ランナー2392人が高浜町から金津町(現あわら市)まで全長162・9キロをつないだ。2020年東京五輪の聖火リレーの概要が6月1日発表され、当時聖火トーチを掲げて走った県民ランナーは「沿道には、ものすごい人が詰め掛け、お祭り騒ぎだった。すごく貴重な経験をさせてもらった」と懐かしむ。

 前回の県内のリレーは1964年9月28~30日の3日間。区間ごとに、火をともした聖火トーチを持って先頭を走る正走者1人と、副走者2人、随走者20人の23人が隊列を組み、その前後に先導車やパトカーなどの車両が連なった。1区間1~2キロで104区間。30日午前11時半ごろ聖火は石川県へ引き継がれた。

 若狭町で温泉旅館を経営する松岡喜一さん(74)は、正走者として同町三宅地区内を力走した1人。当時20歳。高校時代から陸上競技に親しみ「競走じゃないから、当日までは緊張感はなかった」が、普段静かな道に子どもからお年寄りまで町民がぎっしりいて緊張で体がこわばった。隊列を崩さないよう、後方の動きを気に掛けながら1・8キロを走り、次のランナーに聖火を渡すと「ほっとした」。

 当時は聖火ランナーの役割に特別な感情はなかったが、年齢を重ねるごとに「すごいことをしたな、という思いが増してきた」。2巡目の東京五輪が決まり、アルバムを見返したり、随走者と思い出話をしたりする機会も増えた。「めったに経験できないこと。若い方にぜひ経験してほしい」。今回は観客として見守るつもりだ。

 「世界各地で五輪があるたびに、貴重な経験だったと実感する」と話すのは、松岡さんから聖火を引き継いだ正走者で三宅公民館長の勝見誓司さん(73)。若狭高校を卒業したばかりの18歳。「長距離は苦手で、人前に出るのが恥ずかしかった」が、火の受け取り方や隊列を組んで走る講習を受け、自主練習もして、砂利道を走り抜けた。

 「トーチが重くて、とにかく腕が下がらないように気をつけた。最後の坂道もきつかったなあ」と苦笑い。当時着用したユニホームを見つめ「生きているうちに2回も五輪を見られるとは。これを契機に、スポーツの機運が高まれば」と話した。

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