東京出身者、福井の自治会に物申す

こんにちは。ゆるパブメンバーのちばです。なんだかシリーズっぽくなっている都会と地方の違い。東京から福井県に移り住んできてそれなりにもどかしさも感じるし、誇らしさも感じます。そりゃそうです。都会には都会のメリット・デメリットがあって、地方には地方のメリット・デメリットがあって、それを天秤にかけて「じゃ、どこに住もっか」みたいなのを自分の感覚に合わせていくのだから。今回は僕の住む地域に勃発した一つの問題を絡め、そのことについて考えてみたいと思います。

■地方ならではの活動

僕の住む地域にはこどもが集まる「子ども会」、婦人が集まる「婦人会」、地域の男性が集まる会が存在します。地方にはこういった“集合体”があるところは多くて、その集合を中心として地域の家族同士が助け合って生活をしているんです。お祭りやイベントの開催、資源回収、神社や堀の掃除など、それぞれ○○会が企画・運営を行います。

もちろんそれぞれの会には会長がいて誰かがその役をするんですが、どうやらここ最近は“生活スタイルの多様化”が進んでいて、会長をやる、会長ができる人がいなくなってきているらしいのです。そうすると当然ながら「じゃ、会をどうする?」って問題が持ち上がる。実際、僕の住む地域でリアルに起こっている問題がこの“伝統行事等の存続問題”。

東京では体験したことのないことが目の前で起こっているのです。

■平成の都会と昭和の地方

ちょっと脱線しますが、地方に移り住んでビックリしたことがあって、僕はマスオさん状態で妻の実家に住んでいますが、僕以外子供含め全員同じ小学校、親戚もほとんどが同じ小学校、全員が同じ校歌を歌えるんです(笑)。東京では移住者が多く家族間で同じ学校なのは兄弟くらいで、親や祖父母には及びません。この地方独特の普遍性は結束が強く、変わらない中での幸福感がある一方、変化に敏感で排他的な部分があります。なんとなくの感覚ですが、都市部が平成(もう令和になりましたが…)なら古き良き昭和が地方には残っていて温かさがある。でも、先に書いた「伝統行事の存続問題」みたいな過渡期に差し掛かるとザワつくんです。損得だけで考えるのではなく、“ねばならない”とか“こうあるべき”という義務的な感情が問題を縛り付ける(次世代に「残してあげたい」って思いも含まれているんだろうけど)。高校野球の球数制限問題のように、「昔からやってるし、それで良いこともあって続けてきたんだから、なくすのはおかしいっしょ」みたいな空気感がモヤモヤっと問題を包み込むんです。

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