共同通信社政治部記者・小西一禎氏

 福井県の姉妹都市・ニュージャージー州から、共同通信社政治部記者から主夫になった男性が、子育てを巡る日米両国の違いや事情を伝える。

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 「『米国まで付いて来る』って言ったよね。決まりそうだから、お願いします」。

 忘れもしない2017年8月の夏休み。家族旅行で訪れた沖縄で突然妻から切り出され、言葉を失った。2児の母として朝夕の保育園の送り迎えやごはん作り、寝かしつけまでを1人でこなす一方で、製薬会社の仕事にまい進し海外勤務を希望していた妻。応援する気持ちは常に伝えていた。ただ、本当に実現するとは正直、全く思ってもみなかった。

 楽しいはずの旅行はすっかり暗転。子どもの前では笑顔を絶やさなかったものの、心中はまったく穏やかでないまま夏休みを終えた。

 そして2017年12月中旬。妻と5歳の長女、3歳の長男を連れて、米ニューヨーク・マンハッタンのハドソン川対岸、ニュージャージー州に転居した。いや、「連れて来られた」という方が立場上、正確かもしれない。会社の「配偶者海外転勤同行休職制度」を男性として初めて活用し、妻を支え、子どもを育てる「主夫」になった。

 ■仕事中心

 埼玉県出身で、1996年に共同通信社に入社。2005年春、念願かなって東京本社の政治部に配属され、小泉純一郎元首相の番記者を皮切りに首相官邸や与野党、各省庁、国会などを担当してきた。政治記者は政治家や官僚を追い掛けて原稿を書くのが日常で、長時間残業が当たり前。働き方改革の対極に位置し、労働環境は決して良いとはいえない。しかし、国の将来を左右する瞬間に立ち会える醍醐味(だいごみ)に取りつかれてきた。

 長女の誕生後、ごみ捨てや週末夜の料理、洗濯、掃除など一通りの家事はこなしてきたつもりだ。ただ、妻からは「家事もいいけど、育児をもっと手伝って。子どもと真剣に向き合っていないのよ」と駄目だしされる日々。そこで一念発起して15年春から1年間育児休業を取得し一度はイクメンになったものの、育休後は仕事中心の生活に戻っていた。

 ■キャリア形成は…

 そんな矢先にふってわいた渡米話。働き盛りにある45歳、育休に続き休職となると、最前線の取材現場からさらに数年間離れることになる。欠員によって、激務を続ける同僚の負担も増え、迷惑を掛ける。同期からもどんどん取り残されるし、今後のキャリア形成も大いに不安だ。そして何よりも、仕事漬けだった自分がプライドを捨てて、主夫なんかになれるのか。激しく葛藤し、心は大きく揺れ動いた。育休時に感じた社会からの疎外感を今度は海外でも経験するのか、1人で日本に残るか-。

 悩みに悩み抜いた結論は「やっぱり、家族は一緒にいる方が良い」。周囲の賛否は割れたが、初めての異国暮らしをスタートさせた。生活が激変してから1カ月余りが経過し、家族それぞれが新しい環境に少しずつ慣れ始めている。(共同通信社政治部記者・小西一禎(かずよし))

⇒連載「政治記者から主夫へ」を読む(D刊)

※…このコラムは2018年2月に福井新聞紙面に掲載されました。

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