明治から令和までの元号の出典文献を紹介している展示=4月23日、福井市の福井県立図書館

 「令和」で元号に初めて使われ話題となった「令」の字は、江戸末期に朝廷が元号に採用する意向を示していた「令徳」に含まれていたが、前福井藩主の松平春嶽の進言もあり不採用となっていた。福井市の福井県立図書館の展示で、約150年前に「令」の初採用が幻に終わった経緯が紹介されている。

 松平文庫テーマ展「明治・大正・昭和・平成・令和 その出典をたどる」で、6月26日まで元号の出典文献に関する資料を展示している。

 「令」の字の不採用は、幕末維新期の出来事を春嶽が記した「逸事史補(いつじしほ)」で触れられている。1864(文久4)年の改元時、朝廷は「令徳」を新元号にする意向だったが、幕府の老中たちは「徳川に命令すると解釈できる」と難色を示したという。春嶽は、幕府は天皇に政治を委任されているから命令は当たり前と説明した。その上で、「(令は)古来使われてきた年号字にないから『元治』が穏当」などと進言し、最終的に元治に決まった。

 また、中国の古典「易経」からとった明治についても、「逸事史補(いつじしほ)」に書かれている。学者から上申された案から春嶽が一人で5、6案に絞り込み、その後、天皇がくじ引きで決定したとされる。

 一方、「和」は「応」に並ぶ20回目の採用。29回の「永」、27回の「元・天」、21回の「治」に次いで多く使われている。

 大正の「易経」、昭和の「書経」、平成の「史記」「書経」という、それぞれの出典の関連資料も展示。令和については、万葉集の江戸後期の注釈書「万葉集略解(りゃくげ)」を紹介している。

⇒「平成から令和へ」時代の変遷を読み解く(D刊)

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