施設職員と談笑する岩田喜代子さん=福井県坂井市内

 明治に生まれ、大正、昭和、平成を生き抜いた。106歳の岩田喜代子さん=福井県坂井市。大正モダンの開放的な気風に触れ、戦争、福井地震といった昭和の苦難を乗り越えた。平成の30年も超えて令和へ。自身の長寿を実感しながら5月1日、祝賀ムードの改元を迎える。

 大正に改元される1カ月半前、明治45(1912)年6月15日、5人きょうだいの末っ子として東十郷村長畑(現坂井市)に生まれた。父は村会議員も務めた名士。母が産後に体調を崩したことから、同じ時期に出産した叔母の母乳で育った。

 三国高等女学校へ通う電車内で冷やかしてくる男性客と互角に渡り合い、「豪傑」のあだ名がつくほど天真らんまん。岩田さんと暮らす次女(78)は「10代前半までの多感な時期が、大正デモクラシーと重なった。母の人格形成に大きな影響を与えたのでは」と話す。女学校時代、作曲家の今川節と一緒に「ペチカ」を歌ったのも大切な思い出だ。

 昭和10(1935)年、23歳で父が選んだ相手と結婚し、大阪へ引っ越した。間もなく戦争が勃発。疎開のため再び地元に戻った。大手商社のビルマ支店(当時)勤務だった夫も終戦で職を失い福井へ。夫婦と娘3人で再出発した。

 福井地震で自宅が倒壊。実家の横にバラックを建て、親を失った親戚の子ども2人も加わった7人で肩を寄せ合い暮らした。夫の仕事も軌道に乗らず、和裁と縄ないのわずかな収入と実家の援助で糊口(ここう)をしのいだ。

 「貧乏だったけど、戦争が終わって明るい時代に向かっていくのがうれしかった」と振り返る岩田さん。気さくな性格もあって、バラックには近所の子どもがよく集まった。本を読み聞かせ、時にはお菓子を振る舞った。

 昭和30年代に生命保険の外交員に。車は高根の花で自転車にも乗れなかったため、営業先へは徒歩で回った。還暦を前に短歌を始め、同人誌にも参加した。

 現在は次女の家族と楽しく暮らす。野菜中心の食事をきちんととることが長寿の秘訣。朝晩は親鸞聖人の教え「正信偈(しょうしんげ)」を唱和する。加齢で聴力や記憶が衰え、103歳で車いす生活になった。それでも明るい性格は変わらず「週4回のデイサービスでみんなと話すのが楽しい」。

 五つ目の時代、令和を目前に「長生きしたんじゃなくて、長生きをさせてもらった」と心情を明かす。1日は、家族や周囲に感謝を示す特別な一日となる。「東京五輪を見たい。世界中の人が、平和な日本を感じる姿をこの目で確かめたいから」。屈託のない笑顔で語った。

関連記事