「知性とは」量の世界を正確に客観的に把握できる能力を意味するのだというのですが、量の世界とは何かというと、それは生命のない物質の世界だというのです。物質の世界というのは本質的に量によって成り立っていて、物質を分析していくと、すべてが分子とか原子とかいう色も形も分からぬ抽象的な単なる存在単位である最小の単位に還元されてしまうのだというのです。

 物質の世界はどこまで分析してその本質を尋ねてみても、全部量の世界になってしまい、物質の世界はすべて数式や構造式で表現できることになるのだというのです。つまり、量の世界と物質の世界とは同じことになるというのです。

 そしてこの量の世界と物質の世界とを結びつけるものとして、その「関係」を明らかにするものとして、「知性の働き」があるというのです。

 シュタイナーは、我々の魂が「知的な表象生活」を展開していくと、それは「反感」の中で作業を展開することになるし、我々の魂が「意志」の働きを行うと、それは魂を「共感」で満たすことになる、と考えたというのです。そして、その両方とも、われわれの認識の働きによって、重要な成果を上げることができるというのです。
 
※表象とは(思考=表象)
 意識の対象となるものはすべて表象である。ということができるというのです。日本語の「表象」は、印象、心象、形象などと同じ「象」、つまりイメージを意識の表面に上がらせること、もしくは意識の表面に現れたイメージそのものを意味する言葉だという。

 表象とは実在感の希薄な、映像のようなもので、今の社会は、もっぱら表象で勝負しているというのです。

 頭がいいか、悪いか、ということは、もっぱらどのくらい沢山の表象を記憶に蓄えているかにかかっているというのです。他の人よりも表象が沢山あれば、試験に合格します。人と議論するときにも、他の人の知らない表象を問題に取り上げれば、他の人は沈黙せざるを得ません。たとえば、宇宙の構造についてを話題にするときに、理論物理学に詳しい人と、そういうことを知らない人とが議論したら、当然それを知っている人がその議論に勝つわけで、その人が頭のいい人だということになってしまいます。しかし、こうしたことは、もっぱら表象の次元の問題であって、表象を沢山身につけることが社会に適応できるか、できないかの決め手になるというのです。 

 認識する「思考」の働きと、目標に向かって歩もうとする「意志」の働きをシュタイナーは考えていました。思考はしばしば「表象」ということばに置き換えられています。一方の極に「表象やイメージを生み出す生活」、他方の極に「意志の生活」・「目的を持って生きる生活」があって、その中間で魂の「共感」と「反感」が感情として働いているという考え方で、シュタイナーは「表象の問題」と「意志の問題」を考えているというのです。

 我々は小学校の頃から、そういう知的であることの訓練はいっぱい積んでいます。問題はこのような方向での教育を徹底していったとき、こどもの 魂に何が生じるのか、ということだというのです。知的な態度の特徴というのは、ある対象に、向かい合ったときに、その対象と自分との間に距離を置く態度です。近づこうとしたら、知的な態度にならないのです。知的な態度は、同時に、批判の態度なのだというのです。

『一般人間学』第二講

 そして、最初にご紹介した簡単な言葉でまとめられた下記の内容についての理解はそう容易ではないのです。

 しかし、今日の子どもたちの学びの状況を目の当たりにするとき、書かれてある内容をご紹介する必要性を強く感じますので、『一般人間学 』<第二講>に解説されている文章を理解し難いままにではあるのですがご紹介させていただきます。

 理解できるところだけをお汲み取りいただけたらと思います。

認識(思考・表象)→ 反感 → 記憶 → 概念
意志 → 共感 → 想像力 → 形象作用 

 ――生まれる以前の私たちは宇宙の中にいました。その当時の体験が今私たちの内部で鏡に映し出されています。そして死の門を通っていく時、私たちは再び宇宙的な世界の中にいるようになるでしょう。意志の中にはその時の未来の生活が萌芽として現れています。私たちの中で無意識に働いているその意志は、宇宙における高次の認識のためには非常に意識的に働くのです。

 表象とは生まれる以前、受胎する以前に、私たちによって体験されているすべての体験内容の像なのです。

 意志とは、死後において、霊的・魂的な現実となるはずのものの、現在の私たちの内部における芽生えに他ならないのです。

 一方には生まれる以前の人生の像としての表象があり、他方には未来のための萌芽としての意志があるのです――

 と、上記の内容は、『シュタイナー教育入門』でも高橋巌氏が『一般人間学』の『最初の大きなつまずきの石となるところでもある』と書かれているように大変理解し難いところであるのです。