再開発ビル建設予定地で出土した福井城の百間堀の東側石垣=2月1日、福井県福井市中央1丁目

 福井県福井市のハピリン西側の食品スーパー「ハニー食市場北の庄」跡地一帯で進められている再開発事業の予定地に、江戸時代の福井城の百間堀の東側の石垣が残っていたことが、市の埋蔵文化財調査で確認された。石垣は延長約30メートルにわたって出土。東側はこれまでの推定より約12メートル西に位置していたことが判明した。

 市文化財保護課は、事業者の届け出を受けた試掘調査で昨年8月に百間堀の石垣の一部を確認。1月中旬から2月下旬にかけ、ビル建設予定地内の約150平方メートルを発掘調査し、南北方向に延長約30メートルの石垣が出土した。百間堀の石垣は過去にも複数箇所で見つかっているが、今回ほどの延長規模は、2002~03年度の福井駅西口地下駐車場整備に伴う調査以来という。

 同課によると、百間堀の東側石垣の位置はこれまで、江戸時代の福井城下を記した絵図などの史料を基に、現在のハピリン敷地の西端周辺と推定されていた。今回の調査で実際の位置が判明し、百間堀の全体像がより明確になった。

 見つかった石垣は笏谷石約100個分で、地下約1~2・5メートルの範囲に積まれていた。本丸の石垣と同様に、一段ずつ高さをそろえながら積み上げる江戸期特有の「布目積み」で、最高4段を確認。4段目の石は高さが20センチ前後で他の半分程度だった。積み上げの最後に高さをそろえる「天端石(てんばいし)」の特徴と一致するため、4段目が当時の最上部だったとみられるという。

 埋蔵文化財調査は文化財保護法に定められ、ビル建設などで遺跡の保存が不可能な場合は、発掘調査の結果を記録して埋め戻すことになっている。その際、土器などの遺物は自治体が保管するが、石垣は遺構の一部に当たり採取の対象にならない。

 市文化財保護課は、再開発の事業主体となる「元町開発」に、石垣の採取と保管を依頼。「現場に残したままでは、基礎工事の影響で石垣が紛失されてしまう」と指摘し、保存や活用を期待している。

【百間堀】初代福井藩主の結城秀康が1601年から約6年間かけて築城した福井城で最も大規模な堀。当時流れていた吉野川をせき止めて堀を造り、城の防護に利用した。二の丸や三の丸と東外曲輪(そとぐるわ)を隔てる場所に位置した。最大約90メートルの堀幅があり、その広さを形容して「百間」(約182メートル)の名が付いた。

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