【論説】2000年8月24日、イチロー選手の姿は福井県営球場にあった。翌日付の本紙は三振した写真を掲載した。試合はオリックスが3-10で日ハムに大敗。イチローは4打数1安打だったが、打率はそれでも3割9分2厘。このシーズンにプロ野球新記録となる7年連続首位打者に輝いている。

 イチロー見たさにチケットを求めたが、手に入らなかった記憶が残る。不人気のオリックスなのになぜ? と悔しがったものだ。その球団を一躍、超人気チームに様変わりさせたのがイチローだった。このオフに、米大リーグのマリナーズ移籍が決まった。

 そのイチローが引退を表明した。01年、最優秀選手と新人王を同時受賞。04年にはメジャー新記録の262安打を放った。メジャーデビューから10年連続で200安打以上を記録。16年には通算3千安打に到達し、日米通算4367安打は今後、破られることはないだろう。数々の金字塔を打ち立て、惜しまれながらの引退である。間もなく終わる平成とともに人々の記憶に残る「唯一無二」の選手であることは間違いない。

 イチローを稀有(けう)な選手たらしめたのは、打撃は無論、走塁、守備と走攻守に卓抜した才能を発揮したからだ。1年目に盗塁王を獲得し、07年にはリーグ記録となる45連続盗塁成功をマーク。守備では新人時から10年連続でゴールドグラブ賞に輝き、本塁や三塁への送球はレーザービームと称され、ファンならずとも目に焼き付いている。

 自身は「僕は打つ、守る、走る全部ができてなんぼの選手」と言い放つが、陰の努力は並々ならないものであったことは想像に難くない。公私にわたり行動を習慣化するなどストイックぶりはつとに有名。実戦やトレーニングでは自らの感性を頼りに、違和感に向き合い絶妙のバランス、修正能力でスランプを克服するなど、超一流の域を保ってきた。

 しかし、45歳の年齢には勝てなかった。先の本紙掲載写真は空振り三振した瞬間を撮ったものだが、それほど三振は珍しかった。ところが、13年にヤンキースに移籍してから三振が顕著になったという。盗塁も17年は1個だけだった。「50歳現役」の目標に耐えられるだけの体ではなくなったのだろう。昨季、マリナーズの会長付特別補佐に就任し、実戦から離れたブランクも大きかったようだ。

 引退会見では東京ドームの開幕2連戦について「やっぱり一本ヒットを打ちたかった」と語った。09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で連覇を成し遂げた際のリーダーシップを記憶する人も少なくないだろう。あの時に見せた勝利への執念、闘争心は健在とみた。

 今後について会見では「監督は絶対無理です。人望がない」と一蹴したものの、「それ(指導)には興味があります」とも語っている。ならば、日本で後進を育ててほしい、その姿を見てみたい、みんながそう願っているはずだ。

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