FC東京に敗れ肩を落とす鳥栖イレブン=味スタ

 世界のトップシーンで活躍を続けてきたフェルナンドトーレス。2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で優勝した経験を持つスペイン人エースを、元日本代表の金崎夢生と元韓国代表の趙東建がサポートする。メンバー表だけを見たら、なかなか豪華な攻撃陣だ。

 ところが、現状ではこれらの選手がまだかみ合っていない。J1鳥栖はサポーターに、ゴールの瞬間を喜ぶ陶酔の機会をまだ与えられないでいる。3月20日に行われた第3節のFC東京戦を終えても、その状況は変わらなかった。0―2で敗れ、3連敗。18チームの中で勝ち点0なのは鳥栖だけだ。

 昨季の勝ち点は41。これはJ2との入れ回戦に臨んだ16位の磐田と同じだった。順位こそ14位だったが、薄氷を踏む思いだったことに違いはなかった。だから、新シーズンに向けては、昨年の経験をベースにチームを熟成させる必要があった。

 だが、チーム編成は大きく変わった。アトレティコ・マドリードでトーレスの同僚だったルイス・カレーラスを新監督に迎え、メンバーも入れ替わった。中でも不安が大きいのは3試合で7失点を喫している守備陣だ。吉田豊やジョアン・オマリといった主力級が去っただけでなく、それ以上に重要な選手がゴール前から消えた。アジア・カップで日本代表のレギュラーGKを務めた権田修一。昨シーズンの終盤にこの守護神に何度助けられたことか。地道に1ポイントを積み重ねた粘り強い守備は、いまのところ影を潜めている。

 改善の兆しがないわけではない。3バックから4バックにフォーメーションを変更したFC東京戦は、残り5分を除けば互角の試合を展開した。後半16分にMF高橋秀人が2枚目のイエローカードをもらい、退場処分で10人になるというアクシデントがあってもだ。古巣との対戦だったGK大久保択生も「1人退場しても、前の2試合に比べたらチームとして戦えた」と手応えを口にした。しかし、低迷している時には結果として悪い流れが続くというのが、この試合だった。

 攻撃の圧力を増すために、鳥栖がカードを切ったのは後半15分。元バルセロナのMFクエンカを投入したのだ。鳴り物入りで加入した“助っ人”のJ1デビューだったが、本来の持ち味を出せないままに終わった。出場の1分後に10人になったことで、与えられる役割が変わったのだ。「高い位置で仕掛けてチャンスを作る」。自身の持ち味について、そう答えたクエンカだったが、「ああいった状況だったら、少し後ろに引いて耐えて守るのはノーマルなこと」と本来のスタイルとは違うプレーを強いられた。

 1人少ない状況でも勇敢に戦ったことは間違いない。それで、どこかに無理が出てきたのも確かだ。後半43分に喫した失点。FC東京の小川諒也のシュートを右サイドバックの三丸拡がオウンゴールしたのは不運ではあった。とはいえ、押し込まれていたのも事実だ。

 さらに不運は続く。アディショナルタイムのレフェリーの判断だ。直前のセットプレーからの接触でFC東京の森重真人とともに三丸がピッチ外に出ていた場面で、三丸の治療が少し遅れたのが致命傷になった。プレー再開後に森重はピッチに入ったが、ライン際でアピールする三丸は入ることを認められなかった。人数は9対11。このことで、丸の持ち場である右サイドは「空白地帯」に。そこをFC東京の久保建英にフリーで突破され、結果としてジャエルに息の根を止められる2点目を決められてしまった。

 不運な部分があった。とはいえ、失点が多く、逆に点は取れない。開幕3試合目にして鳥栖には暗雲が垂れ込める。ただ、希望がないわけではない。リーグで2試合、Jリーグ・YBCルヴァン・カップも含めれば、3試合連続の先発出場を果たした松岡大起の存在だ。

 FC東京の久保と誕生日が3日違いの、まだ17歳。カレーラス監督も「非常に未来のある選手。日本代表の監督にもしっかり見てもらいたい」と評価する若き才能にはすでに絶大の信頼が寄せられている。それは、FKやCKのキッカーを任されていることにも現れている。

 そのキックの精度は後半アディショナルタイムに発揮された。FKから高橋祐治のヘディングでの決定機を演出した。鳥栖にとってこのプレーが、最もゴールの匂いを感じさせる瞬間だった。しかし、90分をフル出場した松岡は恐ろしく謙虚で冷静だ。

 「久保君はアシストしていますから。自分も結果を出せるようにしないといけないと思います」

 プレーはもちろんのことだが、記者に囲まれたなかでのその振る舞いと受け答えは堂々としている。松岡といい久保といい、トップで活躍する選手は、17歳とはいえすでに大人のメンタリティを持つのだろう。高校時代の自分を振り返ると、恥ずかしくなる。なんと自分は幼かったことか。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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