旧大川小学校の裏山に登り、弟を亡くした永沼悠斗さん(左端)の話を聞く福井高専の3人=2月26日、宮城県石巻市

 「自分の命を、大切な人を、地域を守ってほしい」―。東日本大震災から3月11日で8年を迎えた被災地では、肉親を失った20歳前後の語り部が、思いや教訓を伝えるため奮闘している。同世代の福井高専(福井県)の学生3人が宮城県内の被災地を訪れ、震災直後の状況や被災地の今に触れ、語り部の思いを「手渡し」で受け取った。

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 さわやかな青空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。

 2月26日、川をさかのぼった津波により児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市旧大川小学校を訪ねた。裏山から校舎周辺を見下ろし、語り部の永沼悠斗さん(24)=同市、東北福祉大学2年=は言った。「きれいなんだよね、景色が。山があって、川も海もあって。ここに育って大川小を卒業したことは誇り」。当時高校生だった永沼さんは小学2年の弟を亡くした。

 円形の平屋と、緩やかな曲線の2階建て部分を組み合わせた校舎の周辺は一面更地だ。ひっきりなしに大型ダンプが行き交い、今も復興の途上であることを告げている。

 地震直後に児童たちが待機していた校庭から、体育館裏の山を目指した。シイタケ栽培の体験が行われるなど、裏山は児童にとってなじみ深い場所だったが、実際には避難先にならなかった。斜面の大半はなだらかで、低学年でも難なく登れそうだ。永沼さんは「弟の命を守ってくれたかもしれない場所。でも、そうならなかった場所」と紹介した。

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 多数の犠牲者が出た同校のケースは、避難誘導などを巡り全国的にも継続して大きく報じられた。市や県の過失責任を問う民事訴訟は最高裁で係争中だ。

 永沼さんは日頃の児童と教員の関係から「先生は絶対に弟を守ろうとしていたと確信している」とおもんぱかる。一方で、「(わが子を失った悲しみから)当時の話を聞くことも、ここに来ることもできない人もいる」と遺族の苦悩も代弁した。

 助かる場所も、逃げ道もありながら命が失われたことは「全国どこでもありうる」。だからこそ「地域をよく知らなきゃいけない。身の回りの危険を察知する、逃げる場所を考える、大切な人たちと事前に話し合うことはできるはず」と訴えた。

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