【越山若水】一枚の写真に記憶を揺り起こされることがままある。先日は本紙に載ったクジャクの華麗な姿から、故白洲正子さんの手になる一文を思い出した。題名が「孔雀(くじゃく)」▼吉田茂元首相の側近だった夫、次郎氏が他界した1985年初冬のこと。山あいにある居宅の庭に一羽のクジャクがすみ着き、ひと月もたたないうちになれた▼手ずからパンを与えた白洲さんの念入りな描写がいい。「頭上には王女のように華奢(きゃしゃ)な冠をいただき、胸から裾へかけては正に孔雀色をした衣をまとい、宝石のように光り輝いている」▼その美しさと裏腹に、目は怖い。切れ長の大きな目で獲物を見すえ、鋭いくちばしでパクりとくる。なれても甘えない。餌をやらなくても知らん顔でいる▼クジャクは春の彼岸のころ突然、姿を消した。夫の死後すぐに来て百か日あたりで去った。その姿の良さ、誇り高さ。運命論者でもない白洲さんが亡夫を思ったのは自然だった▼きょうの写真は、梅と蜜蜂。もろ手を広げたような白い花に、蜂がすがりついて蜜を吸っている。母子の授乳の光景を見るようで、記憶というより胸の奥を揺すられる▼勝山左義長まつり、小浜のお水送りに続き二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」が来て春を感じるのが、わが福井。ことしは寒の間も暖かく、春のありがたみが薄いと思えた。不遜だった。命の輝く季節を写真がとらえている。

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