【越山若水】日本人初の五輪選手として大河ドラマに登場中の金栗四三は箱根駅伝を生んだことでも知られる。28歳のとき競技仲間と継走方式のロード大会を計画。報知新聞社や関東学連に掛け合った▼1920年、第1回の往路の号砲が鳴ったのは正月ではなく2月14日だった。当初11日の紀元節に合わせようとしたが参加各校で記念行事があり、やむなく後ろにずらした▼金栗はこの3年前に日本初の駅伝に参加、それがヒントになったのだろう。ちなみに駅伝という競技を考えついたのは読売新聞社会部長だった土岐善麿。福井商高などの校歌を作詞した人である▼金栗が学生に駅伝を走らせたのは、長距離選手の育成のためとされる。だが彼には別のところにも狙いがあった。アメリカ大陸を駅伝で横断してみたいから、その参加者を選ぼうとした、というのである(「箱根駅伝に賭けた夢」佐山和夫著)▼コースは東京―箱根以外に水戸や日光なども検討されていた。箱根に決めた理由は「ロッキー山脈越えの練習になる」だったらしい▼金栗は下関―東京1200キロを20日間で走ったこともあった。「冒険家」の気質を強く感じる人だ。そうでなければ99年も前、ロッキーを走破する発想など出てこない▼第1回の箱根はその年、3人の五輪選手を生む成功だった。ただ大陸横断の壮大な夢は実現しなかったのが残念である。

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