読み終えて、ちょっと動けなかった。

 物語は、主人公が花屋で花を買う描写から始まる。仕事場で、ある女性の死を知らされた男。いくつもの回想が、彼の脳裏で入り乱れる。

 50歳を超えて、地元の病院の売店で、再会する青砥と須藤。中学時代の同級生だった2人は、たまに会って、それぞれの人生の重みや疲れを、分け合うようにして宅飲みを繰り返す。中学時代、須藤に告白してフラれた青砥。あの日の真意を問いただすでもなく、2人は、少しずつ距離を縮めていく。

 彼と彼女が交わすのは、人生の機微だ。病院の売店で働く須藤は、仕事終わりに自販機で購入するミルクコーヒーの、イメージキャラクターを「可愛い」と言う。この可愛さと、この甘さと、空の青さと、肌を撫でる風。彼女は言う。「ちょうどよくしあわせ」なのだと。けれどそんな須藤の身体に、のっぴきならない、がんが見つかる。

 青砥は、須藤に寄り添いたいのだ。「ちょうどいいしあわせ」を共にしたいのだ。けれど「俺に頼れよ」とか「俺に任せろ」的な言葉をズバリと言い切ることができない。青砥と須藤の間には、ある均衡があった。例えば須藤は、青砥に借りを作ることを嫌う。飲み代や買い物代を、青砥にばかり払わせることを嫌がる。そんな須藤の心をほどくようにして、青砥がそばで温めるけれど、その日、2人の仲は突然、決裂を迎える。

 相手に身を委ねることができない女と、その女に対して強く出ることができない男。50過ぎだからこその不器用さだ。相手の思いがある程度わかってしまうから、盲目的に突っ走ることができない。病気という共通の敵が出現してもなお――いや、病気という敵があってこそ、その苦しみを均等に分け合うことなどできないことを、彼らは思い知ってゆく。

 自分の人生の重みを、誰かに委ねる生き方。それをどうしても選び取れないまま、大人になってしまった大人たちはきっと、どっさりいるように思う。ひょっとしたら今度こそは、孤独を手放せるのかもしれない。そう思って、かすかな光に手を伸ばしても、それが急速に遠のく、その繰り返し。孤独を思い知りながら、しかし、共に心を動かした季節の、痕跡だけは鮮やかに残る。なかなかカサブタにならないその傷跡を、人生の相棒みたいにして、大人たちは今日を生きるのだ。

(光文社 1600円+税)=小川志津子

関連記事