◆1枚の年賀状

 新年おめでとうございます。1月も終わり近くになってしまいましたが、今年も皆様にとってどうぞ良い年でありますように心からお祈り申し上げます。

 いただいた年賀状のなかに、思わず目が留まってしまった1枚がありました。その年賀状はなぜか全体にほんのりと温かく、柔らかい雰囲気が漂っていて、見ている私の心までがふんわりとほぐされていく思いがするのです。

 年賀状の中央部には、それほど大きくはないのですが、今年の干支・いのししや小さな小人や花たちが、春の柔らかい緑の野原の暖かさに誘われたのか集まってきている写真が少しぼかして写されているのです。イノシシは可愛い目で何かをじっと見つめているのです。これからどんなお話が(新しい年が)始まろうとしているのでしょう。

 写真の柔らかい緑の羊毛の野原に集まっている人形たちは、羊毛をフェルティングニードルという針でつついてフェルト化して作った人形で作られていて、その情景を写真にとって送って下さったのだと思います。私たちも子どもにお話をするときに、こうした人形をよく作ったものです。

 送って下さった方は、長らくドイツでシュタイナー幼児教育を学ばれ、帰国されてからは、シュタイナー幼児教育者の養成講座などで養成に当たって来られている嶋村慶子さんです(先生と呼ばせていただいております)。私たちの保育園にも何度かおいでいただきご指導いただいたり、末娘のドイツへの幼児教育の研修にあたり、先生の園で実習させていただくなど大変お世話になった方です。

 早速メールをしてしまいました。‘あの写真の中の人形たちはひょっともして先生の手作りでは?’と。その通りでした。やはり嶋村先生の手作りの人形たちでした。その人形たちの光景の中に、7歳までの子どもの育ちにふさわしいエーテル(生命)に満ちた「天神様」の世界を見た思いがしたのです。

◆天神様に戻って

 「福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛け軸)を飾る。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩主松平春嶽公が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また富山藩や加賀藩(石川県)など前田氏(前田家は菅原氏の出を称していて、ちなみにその家紋は剣梅鉢・加賀梅鉢だという)の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった」と、ネットのウイキペディアには書かれていました。

 孫の誕生がきっかけで生じた、「福井に伝わる男の子の誕生に学問の神様として崇められている菅原道真を主祭神とする天神様を贈ることが今の時代にも本当にふさわしいことなのか」という疑問に対して、これまでおもいがけない、いろいろな世界に導かれてきました。道中、少し先を急いたこともあり、いくつかの書き記すことの出来なかったこともありました。それらを拾いながら、来し方を今一度簡単に振り返ってみたいと思います。

 天神様といえば、その多くは菅原道真公を祀る天神様です。『語りの世界―昔話と伝奇伝承―』(構成 西川照子  平凡社)によると、主祭神が菅原道真の場合には濁音の「てんじん」と読むのに対して、京都の五条天神や北白川天神は清音の「てんしん」と読み、その主祭神は「少彦名神」だということでした。

 芋の莢(さや)のうつぼ舟に乗って親神(根源神・結びの神)の命を受けて国造りのために海の彼方の「常世の国」から日本にやってきた小さなちいさな神様「少彦名命」だというのです。少彦名命は「少童神(わたつみの神)」とも書かれ、「小さ子」でもあるという。五条天神は「小さ子」バナシの元宮でもあるのだというのです。「桃太郎」や「金太郎」も「小さ子」なのです。

 『古事記』では、応神天皇がまだ幼い頃、武内宿禰(たけのうちのすくね)に連れられて、気比神宮の主祭神・イザサワケノ命の坐す地で、ミソギをしようとすると、神は王子の夢に現れて、「私の名とあなたの名を交換したい」といったという。その名の交換の後に、神功皇后が出てきて、奇妙な歌をうたうという。その中に「常世」「少彦名命」が出てくることがまた奇妙という。

 桃太郎のもっとも古い伝承は福井県敦賀のその気比神宮に伝わっていたという。桃太郎は山で生まれ、その伝承をさかのぼってその山を訪ねれば、福井県大野郡の泉村下山にもたどり着き、その山は、山…いくつもある。その中で一際威容をなす白い山・白山…。

 「桃太郎」は大阪の「てんじんさん」の社、天満宮摂社・「大将軍社」にもいたという。神の名はオオカムツミ「意富加牟津見神」。

 妻イザナミの後を追って黄泉の国に行ったイザナギがそこで見たものは変わり果てた妻イザナミの姿。その姿を見られて追いかけるイザナミにイザナギは桃の実を三つ投げつけて退散させるという。『古事記』では、桃子(もものみ)とあり、「意富加牟豆美命」と書かれ、桃の実は功あった故に神となったという。

 菅原道真、大宰府に流罪が決まり、いざ渡海という時に天満宮に坐すこの神に祈ったという。つまり桃太郎は航海の神。「海神」で、天神さん(てんじん)よりは古い神であったという。

 一方には菅原道真をまつる天神(てんじん)さんがあり、もう一方には菅原道真を祀る天神よりも、古い天神(てんしん)信仰があり、その信仰はどこまで時代を遡れるのかは定かではありません。が、天神様は古事記の始原神・「天之御中主神(アメノミナカヌシ)」でもあるということでした。(『ホツマツタヱ』には始原神は「アメミヲヤノ神」でもあるとありました)

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