合併協定書の署名を終え、がっちりと握手を交わす、左から有塚達郎美山町長、酒井哲夫福井市長、刀禰麒一越廼村長、斎藤三哲清水町長(肩書は当時)=2005年2月、福井県福井市内

 2004年5月、福井県福井市との合併を巡り、旧越廼村の住民説明会は白熱した。「できるところまで単独でやれ。財政が本当に厳しくなったら合併すればいい」「借金だらけになったら、どこが合併してくれるんや」。国主導で進められた「平成の大合併」。全国で“ラッシュ”が起こり、越廼村も渦中にあった。最後の村長となった刀禰麒一(71)は、国から直接的な働き掛けはなかったとしながらも、「地方交付税が減らされ財源的な締め付けがあった。あれが暗黙のサインだった」と話す。06年2月、福井市と清水町、美山町、越廼村が合併し、新福井市が誕生した。(敬称略)

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 ▽自治体が悲鳴

 市町村の規模・能力を拡充し地方分権を推進、少子高齢化に対応していく-という大義名分で合併は推進された。だが、その背景にあったのは国の深刻な財政難。バブル崩壊後の経済立て直しのため、国は積極的に公共事業を奨励したが、経済は回復せず借金だけが残っていた。

 「国はもう市町村の面倒を見切れなくなった。でも、そう言うわけにはいかないから、地方分権だと言い始めた側面は否定できない」。福井県合併支援室長だった高木和昭(65)は、県内で考えられる合併の組み合わせを各自治体に例示して回ったとき、首長らが国の地方交付税減額に悲鳴を上げていたのを覚えている。

 国は、返済時に約7割を国側が負担する合併特例債という「アメ」と、三位一体改革による交付税と補助金の減額という「ムチ」を並べた。小規模町村はいや応なしに合併に目を向けることになった。

 越廼村長の刀禰はプロジェクトチームを設置した。「単独村」としてやっていけるのか。財政状況や人口減少の見通しを踏まえて1年間検討し、結論を出した。「一つの方向性として合併もありうる」

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