歴史講演会で自説を語る梅原猛さん=2012年3月、福井県越前町

 古代史や文学、宗教などを横断し「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた戦後日本を代表する哲学者で、文化勲章受章者の梅原猛さんが1月12日午後4時35分ごろ、肺炎のため京都府京都市左京区の自宅で死去した。93歳。宮城県仙台市出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長男賢一郎氏。

【D刊】福井の研究者に勇気

 京都大学文学部哲学科卒。立命館大学教授や京都市立芸術大学教授、同大学長を歴任。国際日本文化研究センター設立に尽力し、1987年の発足時から95年まで初代所長を務めた。97年から6年間、日本ペンクラブ会長。福井県の若狭町若狭三方縄文博物館館長。2000年4月の旧三方町縄文博物館開館時から務める。04年には文化興隆に貢献したとして旧三方町初の名誉町民の称号を授与された。

 初期の著作「地獄の思想」「笑いの構造」では、日本精神の形成と伝承について考察を加え、次第に関心を哲学から古代史、歴史一般へ広げた。

 72年発表の「隠された十字架 法隆寺論」で、奈良・法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたと論じ、翌73年の「水底の歌 柿本人麿論」では、柿本人麿(人麻呂)の流罪水死説を唱えるなど、次々に大胆な仮説を提示、反響を呼んだ。

 縄文文化の研究に基づき、アイヌ民族と沖縄の言葉を分析。縄文の魂と弥生の技術を合わせたキーワード「縄魂弥才」を生み出すなど、独自の史観を確立した。

 創作の分野でも活躍した。三代目市川猿之助(現・猿翁)さんが演じたスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」「オグリ」を書き下ろし、戯曲「ギルガメシュ」も著した。

 社会問題にも積極的に発言し、脳死臨調のメンバーとして、脳死は人の死ではないとの少数意見を主張。2004年には護憲を訴える「九条の会」設立の呼び掛け人になった。東日本大震災後は、政府の復興構想会議の特別顧問を務めた。

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