人間は、地球紀を迎えたとき、たちまちルツィフェル的な霊たちの強い力、低次の情熱をそのいたるところに浸透させ、人間を誤謬と悪とに陥らせるように働きかけるその力に捉えられてしまい、そのアストラル体は、この力に支配され、人間の自我は、アストラル体のこの力の中に閉じ込められたというのです。

 地球紀においての※レムリア期からアトランティス期へ、そしてその後に到るまで、自我はルツィフェルに影響されたアストラルの雲に包まれ続けたのだというのです。人間がこの強力な力に圧倒されなかったとすれば、それは上方にとどまり続けた「天使」(進化に遅れず順調に進化した天使たち)と大天使が特定の個人たちに受肉して、人間を導いたからなのだというのです。そしてこのことが、ある特別な事態の生ずるまで続いたというのです。

 特別な事態というのは、それまでのヒエラルキア存在とは異なり、太陽と結びついていた霊的本性が、ナザレのイエスの肉体に現れ、その個人の自我に入ったというのです。

 その別格の霊的存在は強制力によって人間を支配しようとはしないというのです。キリストにおいては、教えを通して働きかけたのではなく、その行いを通して働きかけたのだというのです。教えではなく、行為の結果が問題なのだというのです。

 その行為は、人間がそれを自分に作用させようと決心するとき、言いかえれば、その行為が人間の自我の絶対に自由な個的生活と結びつくとき、どんな人間に対しても同じ働きかけをするのだというのです。人間の自我がキリストを受け入れようと、自主的に決心しなければならないのだというのです。このことが大切なのだというのです。キリストと結びついた自我は、単なる教えではなく、神的な力というひとつの現実の働きを自分の中に受け取るのだというのです。

 キリストの力を自分から進んで受け取ろうとするなら、誰でもそのキリストの力を受け取ることができるのだが、自分から進んで受け取ろうとしない人は、それを受け取ることができないという。

 ルツィフェルとなってこの地上にやってきた「堕ちた天使たち」は、本来、月紀において人間になるべき存在だったのですが、進化の過程で取り残されてしまい、地球紀になっても人間のアストラル体の中へは入りこむことができても、まだ自我に働きかけることができないのだという。(自我とのかかわりではよく催眠術や麻薬があげられています)

 キリストの働きは始まったばかりなので、可能性だけを問題にしているのですが、キリストを本当に自我に浸透させることができたとすれば、キリストの力は、その人のアストラル体の中まで影響を及ぼすだろうというのです。

 「未来においては、キリストの助けを受けて、ルツィフェルに由来するすべての特質が消え去るでしょう。そうできたとき、人間は、ルツィフェルをも自分と共に救済するのです。

 月紀において人間を自由な存在にするために、一定の低次段階にまで沈まなければならなかったルツィフェルが、人間を通して地上においてもキリストの力を体験し、そしてそれを通して解放される時代がやがて来ることでしょう。

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