柔道講道館杯の男子100キロ超級1回戦、上田轄麻(左)と対戦する斉藤立=千葉ポートアリーナ

 柔道界期待の大器が甘くはない現実を直視した。

 男子100キロ超級の16歳、斉藤立(東京・国士舘高2年)は、11月の講道館杯全日本体重別選手権で1回戦敗退の試練を味わった。

 2020年東京五輪へ、夢の大舞台への道は、日本代表指導陣が最重要視する19年世界選手権(東京)の代表第1次選考会を兼ねた大会での惨敗で、事実上途絶えたことを意味する。

 斉藤は、1984年ロサンゼルス五輪と88年ソウル五輪の95キロ超級(当時)を2連覇し、全日本柔道連盟(全柔連)の山下泰裕会長とともに日本男子の一時代を築いた故斉藤仁氏の次男だ。

 「規格外」と称される逸材は小学5年で父の背丈を追い抜き、身長は190センチに達してまだ伸びている。

 「ブラックホール」と周囲を驚かせる食欲で、体重は160キロを超える。父の英才教育でたたき込まれた技術にも確かなものがある。

 大阪市の実家の一室を改装した6畳敷きの“道場”で、小学1年から泣きながら1日2、3時間も打ち込みを課され、「体に染みついている」と胸を張る体落としは強烈で美しく、15年1月に54歳でこの世を去った父の得意技を放つ姿に、胸を熱くする関係者も多い。

 そんなホープに東京五輪代表の期待が湧き起こり始めたのは高校1年だった昨年の秋ごろからだった。

 ジュニア年代の試合で圧巻の強さを示し、全柔連の金野潤強化委員長は「末恐ろしい」と才能に目を見張った。

 山下会長や総本山の講道館の上村春樹館長は、試合前に国士舘高の岩渕公一監督に「立を見に来ました」とささやくほど。

 08年北京五輪を最後に五輪と世界選手権の頂点を逃し続ける日本の最重量級の低迷も相まってファンの願望は膨らみ続け、斉藤も「東京五輪で金メダルを取ってお父さんに恩返しする」とストレートに思いを口にしていた。

 だが、シニアの壁は厚かった。組み合えば力を発揮できるが、まともに組み合わせもらえない。「大人のうまさに負けてしまった」と試合後、うなだれた。

 純朴で素直な性格は誰からも愛され、残念がる報道陣も少なからずいた。ただ、本人の落胆ぶりにも母の三恵子さんは「正直、ほっとした」と胸をなで下ろす。

 20代半ばから充実期を迎える選手が多い100キロ超級で16歳が闘うには負担が大きく、「潰してしまわないか」と不安の声があったのも事実だ。

 試合が立て込み、伸び盛りの時期に十分な稽古を積む時間がなかった上に、腰にはけがを抱えていた。

 岩渕監督によると、今はじっくりと体づくりから取り組んでいるという。

 最重量級の苦しい状況は続くが、目先の結果にとらわれず、心技体ともに大きな柔道家に育ってほしい。

 講道館杯の後、三恵子さんは息子に「斉藤立の物語はこれからが本編だよ」と語りかけた。

 稽古の大切さもけがの怖さも身に染みて学び、怪物は新たなスタートラインに立つ。

 国際試合の経験も少なく、お家芸の看板を背負うためにやるべきことはまだまだ多い。

 病床に伏していた偉大な父から贈られた言葉は「稽古に行け」だった。

 「絶対に強くなる」と誓った少年に落ち込んでいる暇はない。底知れない才能が輝くのはこれからだ。

村形 勘樹(むらかた・かんじゅ)プロフィル

全国紙を経て2012年に共同通信に入社し、札幌支社から15年5月に運動部へ。現在は柔道やスピードスケート、日本オリンピック委員会(JOC)などを担当している。山形県出身。

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