小浜藩邸があった矢来町の一角にある矢来公園=2018年10月、東京都新宿区矢来町

矢来公園には「小浜藩邸跡」「杉田玄白生誕の地」と書かれた石碑が立つ

 徳川幕府の大老だった小浜藩主酒井忠勝の藩邸は現在の東京都新宿区牛込にあった。三代将軍、徳川家光が最も信頼を寄せ、家光は神楽坂を登って145回も藩邸を訪れる「御成(おなり)」を行った。小浜藩江戸屋敷が実質的に政治の中心の場となる時代があった。11月23,24日の2日間東京と新宿区の神楽坂通りで小浜藩をしのぶイベントがあり、23日は酒井忠勝の江戸城登城行列が再現される。

 将軍頻繁に御成、矢来町の由来も【Dのコラム】 

福井県小浜市にあった小浜藩の歴代藩主を務めた酒井家は三河以来の門閥で江戸幕府の譜代大名。忠勝は家光に仕え、夜遊びの多い家光をいつも案じ家光が出かける際に草履を暖めていたなどの逸話が伝わっている。家光が将軍宣下を受けるため京都に上洛するときも常に従い、4度目の上洛で川越から小浜への転封を告げられた。このときに家光から忠勝にプレゼントされた駕籠(かご)が今年小浜市内の寺で見つかった。完全な形の将軍が使った駕籠が見つかるのは国内で初めてだった。

 徳川家光が最も信頼した酒井忠勝【Dのコラム

 酒井家の屋敷は上屋敷、中屋敷、下屋敷と3カ所あり、牛込にあった下屋敷が最も大きかった。1634年に忠勝は老中となり、家光は頻繁に藩邸を訪れる。徳川林政史研究所によると家光が亡くなる1651年(慶安4年)まで御成りは実に145回にもなる。ほかの大名とは比較ならない数だ。最初は高田馬場付近の鷹狩りや城回りのついでに立ち寄ることが多かったが、次第に小浜藩邸だけを訪れるようになる。幕臣の剣術や乗馬の稽古を鑑賞したり、能や花火を見物したりしたりした。

 切支丹(キリシタン)伴天連(バテレン)の尋問もここで行われ、小浜藩下屋敷は江戸の政治の中心だった。

 1639年(寛永16年)江戸城本丸が全焼したとき家光が小浜藩邸に避難。屋敷全体を竹矢来で囲み、御家人が抜き身の槍で警備したという。その後も屋敷は竹矢来で囲まれ「牛込矢来屋敷」と呼ばれ江戸の名物の一つとなった。現在の東京都新宿区矢来町の地名の由来だ。江戸中期に解体新書を書く杉田玄白はこの屋敷で生まれた。

 神楽坂を上がったところに広がる新宿区矢来町の入り組んだ区域は小浜藩邸跡と一致する。矢来町の一角に新宿区の矢来公園がある。436平方メートルの小さな公園で4万坪以上あったという下屋敷の面影はないものの、「小浜藩屋敷跡」「杉田玄白生誕の地」の記念碑が建っている。

 「ドーンと福井in神楽坂越前・若狭まつり」と名付けられたイベントは2008年から毎年東京都新宿区の神楽坂通り一帯で開かれてい。今年は福井県無形民俗文化財の雲浜獅子が初披露されるほか、幕末明治福井150年博のコーナーもある。雲浜獅子は、酒井忠勝が川越藩から小浜へ国替えとなった際に演者も連れてきたのが由来とされ、雲浜獅子保存会メンバーが、23日午前11時半からと午後3時からの2回、笛や太鼓の音色に合わせて勇壮な獅子舞を繰り広げる。また徳川家光から拝領した駕籠(かご)をパネルで紹介する。

 酒井家の江戸城登城行列は23日正午からメイン会場の赤城神社から神楽坂下まで練り歩く。赤城神社では、越前がにやへしこ、水ようかん、若狭塗箸といった特産品を販売。沿道の9店舗では、福井の食材を使った500円の特別メニューを用意する。

小浜藩酒井家と将軍家光との関係は電子版福井新聞D刊の「Dのコラム」で詳しく紹介しています。

福井新聞D刊で連載「Dのコラム」

 

 

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