【論説】簡易ベストにマスク、手袋…。先月、東京電力福島第1原発の事故現場を視察した際の装備だ。事故後の重装備に比べ、いたって軽装なのが今の現場の様子を物語る。放射線量は激減し、廃炉などの作業効率も格段に上がったとの説明だった。

 ただ、貯蔵プールからの使用済み核燃料の搬出が遅れ、溶け落ちた燃料(デブリ)の取り出しも見通せていないことを忘れてはならない。加えて放射性物質を含む汚染水の保管タンクはほぼ満杯状態で、どう処理するのか判断を下せないままだ。

 一方で、立地自治体は住民の帰還を目指し新たなまちづくり計画を描く。背景に、除染で出た土壌や廃棄物などの中間貯蔵施設の受け入れという苦渋の選択があったことも見逃せない。

 ■2、3号機の谷間を歩く■

 東日本大震災の翌日2011年3月12日に起きた福島第1原発事故。本紙では以降、何度となくルポを報じてきた。11年11月の記事には水素爆発による残骸や放射線高線量に緊張が走る様子が生々しく記されている。

 7年以上が経過した今、当時のような重々しい雰囲気はなかった。1~4号機を一望できる、視察地点の定番ともいえる高台では、案内役の東電社員が線量の低下などを強調。安全安心がひときわ印象付けられた。

 さすがに、2、3号機の谷間の通路を歩いた際には、これまではなかった視察コースと聞いて胸ポケットの線量計の数値が気になった。この時、ふと頭に「墓のうらに廻(まわ)る」の一句が浮かんだ。漂泊の俳人尾崎放哉の代表作だが、むきだしの鉄骨やがれきが連想させたのだろう。

 ■林立する汚染水タンク■

 しかし、決して墓標ではないのだ。たとえば3号機の貯蔵プールには計566体の使用済み燃料と新燃料が保管されたままになっている。建屋内は線量が高く、無線による遠隔操作での取り出しという「前例のない取り組み」を待っている状態だ。2号機ではデブリ対策として注水を一時停止する試験が予定されているとの報道があり、心がざわつく。事故の収束、廃炉には程遠い現状がある。

 一行の乗ったマイクロバスが縫うように走ることを強いられたのは汚染水の貯蔵タンク群だ。構内に約900基、100万トンを超える水量という。デブリを冷却した水や、流れ込んだ地下水を保管しているが、1日約160トンもの量があり、敷地内のタンク増設は20年までしか余裕がないという。

 水で薄めれば海洋放出が可能なトリチウムだけが含まれるとしていたのが、それ以外の放射性物質が混入していることが判明。漁業者らの反発を招き処理の行方は見通せない。林立するタンクこそ墓標のように映る。

 ■決断に「殺されるかも」■

 構内の大型休憩所には食堂やコンビニがあり、約4200人の作業員が利用しているという。防護用のカッパやマスクをした作業員が次々に行き交う情景は、にぎわい然とした感がある。原発に至るまでの道路沿いの主なき商店や民家が雑草や雑木に覆われ、寒々とした風景を醸成しているのとは対照的だ。

 一方でそうした状況を打開しようと、奮闘するのは立地自治体である双葉町の伊沢史朗町長だ。町の96%が帰還困難区域で、産業拠点などの再生計画を推し進めている。その過程で自らの町に広大な中間貯蔵施設を整備し除染土壌などを受け入れることを決断した。「殺されるかもしれんと思った」のひと言がずしんと響いた。

 「福島の復興なくして日本の再生なし」を繰り返してきた国のトップ。片や「原発は重要なベースロード電源」とも言い募る。原発政策への国の立ち位置が見えない中、立地地域の民の一人として福島を直視し問い直し続けなければならない、そんな思いを強くした。

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