戦後に発刊した大野高校新聞を同校に寄贈する鈴木庄治さん(左)=11月6日、福井県大野市の同校

 終戦後の1949年、福井県立大野高校に創設された新聞部の部員だった鈴木庄治さん(84)=同県大野市=が、在籍中に手掛けた学校新聞「大野高校新聞」を大切に手元に残してきた。紙面には校内の話題やまちの動きなど活気あふれる様子が記録され、鈴木さんは「夜遅くまで編集し、青春と情熱を傾けた『宝』」と誇らしげだ。母校の歴史の一部を守り継いでもらおうと、同校に寄贈した。

 全国的な文化活動の高まりの中で創設された同校新聞部は2000年まで続いた。鈴木さんによると、当時は部員が校内やまちなかの“ネタ”を探して取材から編集までを行った。2カ月に1回ほど市外の業者で印刷し、全校生徒約850人と教員に配布していた。1951年には県内の高校新聞コンクールで優勝した。

 寄贈したのは創刊から3年間の16号までと、その後手に入れた54年までの数部。紙面には生徒会規約の改正や運動部の活躍、当時話題となった学校統合への期待など校内の出来事が詳細に書かれている。

 50年5月には、同校指導部が男女共学に関して調査した結果を掲載。「異性が理解されて来た」「服装を気にするようになった」との質問に「然り(はい)」と答えた生徒は、男女ともに半数を超え、意識の変化がうかがえる。

 県の担当者に取材して大野の都市計画を紹介したものや登山ルポをつづった記事も。寄宿舎で生活する女子生徒の声を座談会形式で書いたものもあり、ユニークな書きぶりで執筆されている。

 創刊当時は米国占領軍の検閲を受けたが、その後は検閲もなくなり、鈴木さんは「言論統制など戦時中に押し込められていたものが一気に花開いた時代」と振り返る。

 部員たちは自分で記事を生み出す面白さに魅了され、遅い日は午前2時ごろまで作業にのめり込んだ。新聞が出来上がる日には、駅の前で列車を待ち「小包が降ろされる瞬間をまだか、まだかと待ちわびた。完成した新聞を見る喜びは胸が躍るようだった」と懐かしむ。

 新聞部が既に廃部になったことに鈴木さんは寂しさを募らせつつも「物の考え方は昔と全く違う。時代の変遷を感じてもらい、こういう活動があったと知ってもらえるだけで幸せ」と話す。

 同校は、早速校内やホームページに掲示した。今後はデータ化して保管する予定で「学校の歴史を知る資料としても活用していきたい」としている。

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