【越山若水】「彼とのけんかはやめてほしいし、必要なら知人に仲裁を頼みます。あなたの争いに、もう黙ってはいられない」。こんな手紙があったとして一つ目の文を省くとどうか。「心配」が消え、取りようでは「不満」も伝わりそうだ▼第1次世界大戦の開戦前後、各国がこの種の外交文書変造に精を出した。「戦争は防衛のためで、仕方ない」と国民に信じさせるのが狙いだった▼昭和のはじめに訳本が出たユダヤ人作家エミール・ルードウィヒの「一九一四年七月」は、敵国の悪意をことさら強調した政治家たちの嘘(うそ)を徹底して暴く▼同書によればドイツはロシア駐在員の電文から「当地に侵略意図なし」との一節を抹消した。冒頭の手紙のように、フランスの書簡からは平和を望む言葉を消し去ってしまった▼ロシアが開戦のころ発表した公文書も4分の1に虚偽がある。オーストリアの外交官は数々の隠蔽(いんぺい)を謀った「最も甚だしい嘘つき」と非難されている▼嘘の効用で各国の議会では党派を問わず、政府の戦費調達に反対できない空気が生まれた。そうして戦死者だけで1千万人近い無残な戦いが始まった▼ドイツと連合国が休戦協定を締結して11日で100年になる。歴史に照らせば、今の日本の政官界は行政文書を偽造する罪深さに対しあまりにも自覚を欠く。ルードウィヒの仕事は、その怖さを教えてくれている。

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