【越山若水】日本の古い都会には街路樹がなかったという。その後、西洋をまねてプラタナスのような木を植えたのはいいけれど、それほど重視されないまま現代に至るらしい▼その辺りの日本人の「見当違い」を、哲学者の和辻哲郎がただしている。「古寺巡礼」などの著作で知られる昭和の碩学(せきがく)である。随想の一節を要約してみたい▼欧州の少し立派な街の街路樹は、風土相応の大木になっている。また大木とならなければ美しい街になれないのだが、日本の街路樹とは電線の下にすくんでいる矮小(わいしょう)な樹木のことだ―▼「城」と題された昭和10年の一文である。80年以上たったいま、年月の分だけ背丈は伸びたし、福井市街に見事な並木もある。とはいえ、街路樹が尊重されているとは思えない▼過去にも同様の趣旨の記事を書いたことがある。すると「落ち葉を毎日掃く者の苦労を考えよ」と叱(しか)られた。大変さは分かるので抗弁しなかったが、それは別の問題である▼再び和辻の文章を引いてみたい。「電線は街路樹の枝の下に来(く)べきもので(略)街路樹が電線の高さを乗り超え得るように工夫してやるべきである」▼一見役に立たなさそうな街路樹こそ大切だ、というのだろう。そんな哲学の上にまちづくりをしたのか、東京は意外に緑が多い。貧弱なのは地方都市の方だが、頓着しないのが気になる。きょうは「木の日」だ。

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