【越山若水】あけすけに言えば普通の礼状である。それが書かれた年月日を特定できたのが、そんなにすごいことなのかと思った人もいたかもしれない▼差出人は明治の文豪・森鷗外。受取人はこれも名高い俳人・高浜虚子。礼状は、鷗外が詩歌集「うた日記」を編むとき、載せる俳句を虚子に選んでもらったのに謝意を伝える内容だ▼分析したところ、書かれたのは詩歌集が刊行された前年の1906年2月22日だと分かった。それがニュースである。礼状は結果として価値ある研究資料になった▼素人にはよく分からなかったので、二人の関係を探ってみた。鷗外は虚子と、どう知り合ったのか。浮かび上がったのは、正岡子規と夏目漱石。言わずもがなの大物二人である▼彼らは親友で同い年。鷗外はその5歳上。そして虚子は子規の門弟で鷗外の一回り年下。この4人は東京・根岸の子規宅であった句会で出会ったらしい。鷗外と漱石はそれが初対面だったという▼虚子が漱石の文壇デビューにもあずかっているのは、よく知られている。とすると子規がいて虚子があり、漱石も俳人・鷗外もいたということになる▼素人の短慮にしても、そう考えると歴史上の人物が生き生きしてくる。調子に乗って蛇足を言えば、礼状の日付にも意味がありそうだ。2月22日は虚子の誕生日。西洋に通じた鷗外のバースデーカードともとれる。

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