2階で開催されている『幕末福井の偉人たち』の特別展を見た後、1階に降りて常設展を見ているうちに、体験教室が始まり、まだ心残りがありそうなままに会場となる2階の部屋に行きました。まが玉づくり教室では、「昔と同じ作り方で作ります」ということで、教室では軟らかめの石を削って作りました。まが玉の形になるように形を意識して作らなければならないので削るときかなりの集中を要するようでした。ですから、出来上ったまが玉は、孫の大切な宝物になったことがその表情や扱いから見て読み取れました。

 今日の小学生は毎日が大変忙しく、その日も終わると次に予定があるということで、早々に帰宅しなければなりませんでした。

 孫にとっての2回目の体験教室である「鏡づくり」は8月16日に行われました。やはり1時間ほど早くに着きましたが、先回行っているので、勝手知ったる…でしょうか、車が着くや否やさっと1人で歴史館に走って行って、先回見足りなかったと思われる常設展の展示を見ていました。道守の庄のビデオに思いがけず自分の住んでいるお寺が出てきたりして驚いていました。その個所をもう一度確認したかったのか、またボタンを押してビデオを見直していました。

 2回目の古墳時代の鏡「三角縁神獣鏡」のレプリカづくりは型に石膏を流し入れて作るのですが、まが玉づくりとは違って、原寸大で大きいものですから、石膏を水で溶くときにも泡をつくらないように等いろいろなところに気配りが必要とされ、少し緊張を伴いながら、やはり集中して作っていました。

 石膏が乾く間のかなりの長い時間は自由時間で、早速、1階に降りて兜が展示されている部屋に行きました。男の子は兜や、刀剣が本当に好きなようです。3年程も前になるでしょうか。中学生の孫の武道館の剣道仲間の子たちに郷土歴史館での兜の展示の案内をした時もそうでした。男の子、女の子に限らず意外に歴史が好きな子が多く、展示物に対しても細部への関心もかなり高かったようです。

 その時は学芸員の方がついて説明してくださったのでよかったのです。しかし、今回は各自で自由に見てくださいとのことでしたので、孫にはいろいろ兜の細かいことを聞かれても、そうした世界にはそれほどまでには深い関心のない私には説明ができず、一緒に説明を読みながら新たに勉強させていただく思いでした。ですから今回も学芸員の方について説明いただけたらと切に思われたことでした。

 兜のパーツなどについてあまり詳細に熱心に聞くので、一度兜を身につけさせていただいたらと勧めたのですが、そこまでは恥ずかしいのか、したくないようでした。でもいつか、兜を身につけてみるとそれぞれの細かいパーツについてもっとよく理解できるのではないかと話すと、少し合点したようではありました。

 それでもまだ見足りないようでしたが、石膏も乾いたようなので、体験教室に戻り、型から慎重に取り出して、また新たな宝物ができたようで大切にしまっていました。鏡の色塗りは各自、家に帰ってからの仕事だということを学芸員さんからお聞きすると、裏側を鏡のように光るようにするには何をどのように塗ったらよいかをしきりに一人で思案していました。その後どうしたのかは聞いてはいないのですが。

 先回のとき、館内を見て歩いたとき、郷土歴史館全館の模型も見ていて、歴史館の横には養浩館という建物があるということを私から聞いてインプットされていたのでしょうか。学芸員さんが「できた人から終わりにします」と、言われると即座に‘養浩館に行きたい’と言うのです。突然で私の方が驚きました。が、よい機会でもあるので、その足で養浩館にも寄ってみました。

 詳しい説明はしないで、養浩館に入って、まず興味を持てそうな昔のお風呂場や、池のたくさんの鯉を見せ、鯉のエサを買ってきてもらって、鯉に餌をやってもらいました。さすが小学生、鯉の餌やりはよほど面白かったようでした。餌を求めて寄って来るたくさんの鯉の口、口。圧倒されそうです。餌一個ではあたらない鯉もいるだろうから、新たにまた買いに行ってもらうと、閉館時間に近く時間も遅かったようで残り2個で売り切れだとのことでした。

 一人で3個の餌を食べない鯉にも与えようとさすが男の子です。餌のやり方も工夫しながら懸命に鯉たちと格闘しているようでした。私がその場におられた方たちと話をしている間に、そのあと、一人で庭に出てその庭も一巡りしてきたようで、帰りかけに茶室のような建物を見て、あそこに行って来たけどあれは何をするところかなどと聞いてきました。その行動の素早さと、歴史館の世界にもかなりの興味や関心があることに、スタンプにつられてという事もあったでしょうが、孫の新たな一面を見た思いでした。後で報告がてらに娘に話すと、やはり歴史的なことには関心があるようでした。

 こうした機会を得ての、子どもたちの楽しい学びへの取り組みを一回限りのものにするのではなく、今後その興味や関心をどこまで深め、伸ばして行ってやれるかがこれからの大人や社会の大きな課題ではないかと思われたのです。