福井の高校生起業家が思う地方の壁

はじめまして。ゆるパブメンバーの小原涼です。

僕の肩書には、代表取締役社長兼CEOのほかデザイナーと高校生があります。

普段は高校生として学校に通い、放課後すぐオフィスへ向かって社長として株式会社RUProductionの経営や、デザイナーとしての活動、起業家として新規事業の準備などをしています。

僕の会社、株式会社RUProductionの業務内容は、ファッションに特化したインフルエンサーを起用し、アパレル企業のマーケティングを行うインフルエンサーマーケティングと呼ばれる事業や、ロゴ、ポスター等のグラフィックデザイン、webデザイン等のデザイン事業です。

インフルエンサーというのはSNSなどで影響力のある、いわばタレントみたいな人たちのことを指します。

インフルエンサーマーケティング事業を行っているので、インフルエンサーとの打ち合わせや、東京で営業などの業務をしているメンバーとの打ち合わせや会議のために毎月東京に行っています。

今回は、僕が起業するまでの経緯、起業した理由などについて書きたいと思います。

 ■「僕、社長になりたい」~起業するまでの経緯~

僕は、とても小さい時から何かのリーダーになったり、何か新しいことを始めたり、何かをクリエイトしたりするのが好きでした。幼稚園、小学校では何かあるたびに率先してリーダーやまとめ役を務めていました。運営委員会と呼ばれる生徒会みたいな機関が小学校にあったのですが、そこにも参加できる学年からほぼ毎期参加していました。

3歳から16歳までの趣味だったレゴブロックを毎日何時間もやっていたり、電子工作やプログラミングに挑戦してみたり(挫折しましたが)していました。

小学校は親の仕事関係で中国の上海に3年ほど滞在、上海日本人学校に通っていました。高度経済成長まっただ中の中国上海での3年間。あちこちで工事が行われ、ちょうど2010年は上海万博があったり、僕の周りの中国人はほとんどが家族内で英語をメインに使っていたり、ある中国人大学生は日本の技術(当時はまだ日本の技術はすごかった)を学ぶために3か月ちょっとで日本語をマスターして日本に留学しに行く準備をしていたり、非常に刺激的な毎日でした。

上海日本人学校では、全国から多種多様な日本人児童が集まっており、そういった人との交流や、国際交流の中で国際情勢について関心が高まり、さらに日本と世界の経済に興味を持つようになりました。上海日本人学校にいたとき、クラス内で物理的な仮想通貨を発行し、Excelをつかって仮想の株を動かして増やせるようにしたり、ちょっとした委員会の仕事のお手伝いやフリマみたいにいらないものの売買などをできるようにしました。

当時日本のGDPが中国に越されたということもあり、小学5年生ぐらいのころから「会社を作って日本の経済を再び盛り上げたい」と思うようになったのです。

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