若狭湾で見つかった旧日本軍の潜水艦「呂500」の艦橋前部。遠隔操作の無人潜水機が撮影した(ラ・プロンジェ深海工学会提供)

舞鶴沖で見つかった呂500のソナー映像

 第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって京都府舞鶴市沖の若狭湾に沈められた旧日本海軍の潜水艦3隻が2018年6月の九州工業大の浦環特別教授らの調査によって艦名と沈んでいる位置が特定された。ドイツでUボートとして建造され大西洋、インド洋を回航して日本に譲渡された呂500をはじめ3隻は歴史の大波に揺られながら大戦を生き抜いた。海に沈められてから72年。あらためて戦争の悲惨さを浮かび上がらせた。 見つかった3隻は呂500がドイツで建造されたというだけでなく残り2隻も外国と縁が深く戦争や船の建造の歴史を振り返るのにも貴重な船だった。若狭湾での潜水艦調査の意義を考えてみた。(M)

 調査は6月18日から4日間行われ、7月3日に結果が東京都内で発表された。発表した九州工業大などの調査チームによると3隻は1924年建造の「呂68」、27年建造の「伊121」、41年にドイツで建造され、43年に日本に譲渡された「呂500」の潜水艦3隻。終戦翌年の46年にGHQによって沈められた。京都府舞鶴市・冠島付近の深さ90メートル前後の海底で見つかった。46年に沈めた時の形をほぼ保っているという。

 調査は浦教授が代表理事を務める「ラ・プロンジェ深海工学会」がクラウドファンディングで460万円の資金を集めて行われた。調査チームは2017年に長崎県五島列島沖で探索を行い潜水艦24隻の位置と艦名を特定したと発表している。

 今回の探査は1946年4月30日にGHQが沈めたとされる潜水艦3隻を見つけることが目的。特に呂500は大戦中唯一日本にやってきたドイツ潜水艦で関心を集めた。6月18~21日に福井県越前町宿の越前漁港を拠点に実施した。米軍の資料や40年前のサルベージ調査の資料などから舞鶴沖に沈んでいる可能性が高いと見ていたが、3年前に福井県水産試験場の超音波点差で越前町沖30キロに謎の沈没船が見つかった場所も調査地点に加えた。越前町の底引き漁船にマルチビームソナーや小型水中探査ロボットを積んで調査に出た。

 最初に調べた越前町沖はソナー探査の結果、潜水艦と形が違うことがわかり19日からは舞鶴沖に向かった。調査3日目の20日、舞鶴市の冠島沖の水深90メートル前後の海底で2隻をみつけ、水中写真やソナーから映し出される鮮鋭から呂500と呂68と断定した。伊121は調査最後の日の21日に見つけた。3隻は伊121が曳航する形で舞鶴港を出て、2隻を順次沈め最後に伊121を沈めたと浦教授は推測している。

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