1965年生まれの私は、72年のあさま山荘事件をおぼろげながら覚えている。巨大な鉄球が山荘の壁を破壊する映像は強烈だった。ジョン・レノンが殺された80年12月9日(日本時間)は期末テストの準備をしていた。勉強が手につかなくなり、ラジオの追悼番組を聞いて泣いた。

 「あの時、何をしていたか」を違う世代の人と話すのは面白い。81年生まれの後輩は、2001年の米中枢当時テロの印象が強いという。本書を読むと、近くにいる人とそんな話がしたくなる。

 主人公は10代から60代まで、世代の異なる6人の男たち。彼らの祖父母の代から、それぞれの人生と社会的な出来事が語られていく。人を通して時代が描かれているのだ。

 オイルショックによるトイレットペーパー不足が騒がれた1973年、19歳の昭生は兄を頼って都会に出る。配管工事の仕事で給料をもらい、親に3千円の仕送りをする。

 82年に大学に入った豊生は、卒業する時には「固苦しいことはしない」と就職せず、アルバイトで生きていくことを選ぶ。

 昭和天皇死去の10日ほど後、中3の常生は「時代の転換に立ち合った」と気づく。同年、手塚治虫や松下幸之助、美空ひばりも亡くなる。

 夢生が小5だった95年には、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起きる。夢生は中1でいじめに遭い、中2で不登校に。そして神戸の連続児童殺傷事件。犯人は中3の少年だった。夢生も、自分の中に殺人衝動があることを知る。

 2011年の東日本大震災で、高2の凪生は瓦礫撤去のボランティアに赴く。惨憺たる津波の痕を見て思う。「僕達はここからスタートするしかないんだ」

 小6の凡生は両親の離婚に納得できず、父親の車の暗い床に向かって、「わーッ!!」と絶叫する。「誰も悪くない。父も、母も。それなのに、どうして自分は苦しいのだろう?」

 6人の人生をのせて時代は疾走する。いや、彼らはのることができず、振り落とされたり、なぎ倒されたりしているといった方がいいだろうか。

 それでも思う。彼らのような、事件や災害の当事者ではない「ふつうの人」たちによって、時代はつくられている。

(新潮社 1700円+税)=田村文

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